ゑデン blog

合法で読む Tetra hydro cannabinol ( T H C )

第14話 Liberty Haze

第14話 Liberty Haze

 
 
 経済成長から見事に取り残された長屋が密集するゴールデン街を通り抜けると、4人は花園神社の境内に入って行き、豊作祈願の参拝をする。そして人気のない神社の階段にしゃがみ込み、闇に紛れて J Tジョイントを回した。



 白いケムリが4人の頭上に立ち昇ると、新宿のよどんだ夜空へとケムリが消えてゆく。

 聞くと、シーナはカゴメに G Jガンジャを買いに来ていたらしい。その合図がレッドアイだと知り、卍と巴は失笑する。
 無論、自分たちがネタ元だとは言わないが。D G は他にも色々手を染めてる男だからやってる事が堂に入ってると、二人は妙に感心する。

 小さな伊勢丹の紙袋いっぱいに入った種を D G から受け取った巴は、何でこんなに沢山種を持っているのとのシーナの問いに。人間の体内では合成できない必須脂肪酸オメガ3にオメガ6が豊富なヘンプオイルを直搾りしたいと言う D G の要望に、巴が鳥の餌をペットショップで調達したと嘘を付く。



 「コレって鳥の餌で売ってるの? 」
 「そう、鳥の大好物! 」

 真紅に染まり始めた眼で、シーナは種の入った紙袋をのぞいた。

 「へー、じゃー鳥ってコレ食べて飛んで空飛んでるの? 」
 「飛んでなくても飛んでる事もあれば、飛んで飛んでる事もある」

 巴の言い草に卍は失笑すると、皐月も紅く眼を染めて不思議な笑みを浮かべていた。

 4人はフワフワと歌舞伎町の人混みの中へ歩き始め、ビルの合間に小さな空き地や植え込みの隙間を見付けると、パラパラと種を撒き散らした。



 G I D性同一性障害 同士の卍と皐月は手を強く繋ぎ、互の波動をシンクロさせて言葉を使わずに意思の疎通そつうをはかり笑いながら戯れ合うと、道にしゃがんで紅く染まった眼を潤ませる。

 「私たち昔話の花咲か爺さんじゃない、歌舞伎町に種を蒔いて、大きな花を咲かせるの」

 紅い眼をしてシーナが、飛びっきりの笑顔を巴に見せた。

 4人の平和なテンションは頂点へ上り詰め、歌舞伎町に麻の実を全部蒔き終える。気付けば人混みに埋め尽くされた歌舞伎町の中心部へ来ていて、4人はビルの階段に腰を下ろす。



 国が断固好景気だと宣伝する年の瀬に、浮かれて溺れて乗せられてなだれ込む人たちの喧騒を、4人は真紅に染まった眼で見詰めた。

 バビロンの中心はありとあらゆる音と光に包まれ、なにか完全に暗号化されたサブミニナルと耳障りなノイズが飛び交う。3次元と4次元のカオスに虹色のネオンが発光し、高速でフラッシュしている。

 四方へ無限に立ち並ぶ金と銀の猥雑な遊興ビルへ、引っ切り無しに飲み込まれては吐き出される人々が。白昼夢のように真夜中を煌々と明るく真昼間のような光に照らされて、集団でゾンビ化しては渦を巻き、掴み合いのケンカを始める泥酔者や、それを見て見ぬふりをするオマワリ。抱き合ってキスをする男女に、互いに鬼の形相でののしり合う男と女。パンツ丸出しで嘔吐する若い女や、ゲロまみれで道端に寝るオヤジ。突然眼の前を走り去っていった血塗れの男。ゴミを漁るルンペン。半狂乱のババア。裸足で踊り狂う新興宗教のスキンヘッドの女。人混みに紛れる外国人の売人。満面の笑みを浮かべてせわしなくうろつくボッタクリの客引き。地上の闇に蠢き死んだ仲間に喰らい付くドブネズミの群れ……。

 空を見上げれば、ぼんやりと灰色がかった銀色のドームのような天井に街は覆われているようで、夜空に星など見えるわけもない。
 その代わりに、このバビロンの悪魔的カオスな次元の空間と時間を支配して頂点に君臨する、神の意思の如き広告が。巨大なサーチライトに照らされ光り輝いている。

 白くしなやかに美しい両手の平を合わせて作る△から覗かれるシオンの片目が、今ひときわ大きく光り輝いて、下界を見下ろしていた。




 2


 「起きて! 帰るわよ、早く着替えて! 」

 卍の声に体を起こした巴は、自分の足に絡んだシーナの足を退けるとアクビをしながら起き上がり、寝惚けたまま服を着た。

 卍と巴は部屋を出て、眩しく日に照らされた路地を歩いて新宿三丁目の交差点まで来ると、そこからタクシーを拾って卍のマンションへ向かった。タクシーの窓を開けて座席に身を沈める巴が、アクビを抑えて卍に言う。

 「しかしあの二人がまさか一緒に住んでるとはな、マジでウケたわ。で、お前は皐月と Fuck したのか? 」

 「まさか、してないわ」

 窓の外の街並みに溢れるシオンの片眼を見詰める卍は、ポケットに入れられていた片目の絵が書かれ、(悪魔の目がのぞいてる)と、皐月がカゴメのカウンターで紙に走り書きしたメモを取り出して見た。



 「何それ、ラブレター? 」 眠たそうな目をして巴が言った。

 マンションへ着くと、二人は順番にシャワーを浴びて、卍がドリップしたコーヒーを2つのカップに注ぐ。
 コーヒーを手にした巴に、卍は机にある雑誌のページを開いて見せた。

 「カリブ海オランダ領アルバ、ボネール、キュラソーの A B C 諸島……。今日の取引が終わったらまた少し日本から離れるべきね。オランダからここへ入って年末はカリブ、その後は流れて、熱が冷めるまで……」

 「どうした急に? 別にいんだけど、何か気になるのか? 」
 


 「ちょっとね、量が多いっていうか……」
 「こんくらいの量は今までにも何度もあったろうが、それより俺は893相手にパイナップル持って取引する方がオッカネーわ! 奴らは893じゃねーんだろ。金払いも良いし、何を気にしてんだよ? 」

 「何となくね、今までの客とは質が違うのよ……。今までのアンダーグラウンドとは違う、何ていうか、あんたの好きな△の目玉が頭から離れないっていうか? 」
 「何だそりゃ? 大丈夫かお前? それはお前が客と寝たからだろ! 」

 「そうね……。でも確実に何かに見られている気がするのよ」
 「そりゃーコレだけの量持ってりゃ気にもなるけどさ、今のところ D G からもヤバイ話は聞かねーし、ゾンビが動いてるようすもねーぜ」
 「そう、気のせいかもね、でも今日の取引を最後に日本を出るわ! 」
  


 二人は50k の G Jガンジャを大きなトラベル用キャリーケース2つに詰め込むと、B Gボング で G Jガンジャのケムリを焚き、カリブへの渡航準備をして夜を待つ。

 途中卍は30g 程の G Jガンジャを 袋に詰めて部屋を出て行った。「またボランティアか……?」と、巴が聞くと、「しょうがないわ、あの人達は病気にかかってるんだから、コレがないと体のバランスが保てないのよ」と言って、バイクで走って行った。

 リビングの大きな窓から一望できる東京タワーに明かりが灯ると、卍は部屋に帰ってきた。眼を紅く染めた二人は2つのキャリーケースを持ち、指定された新宿職安通りに有る東亜財団ビルへ向う。




 新宿でタクシーを降りて、パイナップルを取りにカゴメへ寄る。D G がもう卍と皐月が寝た事を知っていて、場末の情報漏洩の速さに卍は眼を回す。

 「お前やっぱしヤったのか? 」

 ほくそ笑む巴の問をシカトして、卍は懐ろにパイナップルを忍ばせる。そして得意の外国人旅行者を装い、G Jガンジャが隙間なく満杯に詰まったキャリーケースを雑踏の中へ転がして行く。

 「お前はレズ、皐月は O K Mオカマ ……。なー、どうやってやんだよ……? 」



 ネオンがひしめく通りで、師走の人混みを掻き分けるように進む巴は、わざとらしく大きな旅行雑誌を手にした卍の後ろにピタリと迫って問い詰める。

 「皐月が何て言ったのか知らないけど、ただの友達だし、別に一緒に寝てただけよ」
 「お前そんな冷たい事言ってっと、皐月は電車にかれて死んじゃうぞ! 身も心も乙女なんだからな! 俺は正直に言うぜ、ちゃんとヤったって……」

 「別に、聞いてないわ……」
 「何だよ、いつもは聞くくせに……? 」

 そう言った巴は、街の人混みの中で広告に挟まれたサンドイッチマンが眼に入り、何人か裸の女の写真の中にシーナを見付ける。爆乳シーナと書かれていて乳首はピンクの ♥で隠されていた。巴はサンドイッチマンの前を横ぎると、 R,Stones の Sympathy for Devil を流してケムリに包まれたシーナが、J Tジョイント を銜えながら裸で、不吉なルシファーの曲で踊る姿を思い出していた。



 フーゥウッフゥーッ……と、 Stones を口遊くちずさんで巴がキャリーケースを転がしていると、キムチの臭いが微かに漂い、ハングル文字が通りに溢れるコリアンタウンへ二人は足を踏み入れていた。街中の話し声もハングル語が飛び交う中で、ビルの壁面にはシオンの片目が大きく掲げられている。

 卍の紅い眼にシオンの片目が映り込み、人混みの中でキャリーケースを引く卍を、シオンの片目がハッキリと追いかけて行く。

 ギョッとして卍は足を止め、壁に掲げられたシオンの片目に眼を凝らす。 



 「私は奴隷よ……、鎖に繋がれて自由は無いの……」
 「奴隷なんて、やめればいいじゃない? 」
 「何も分かってないのね、そんな事は不可能よ……。その前にあなたが先に、死んでしまうかもしれない……」

 ビルの壁面に掲げられた巨大なシオンの片目に卍は言われた気がして、また強い目眩を感じる。

 「大丈夫か、マジで顔が青いぜ! 」

 巴に声を掛けられると、卍は指定された東亜財団ビルの前にいた。

 「大丈夫よ、もし何か有ったら D U Gジャズ喫茶 の地下2階で落ち合いましょ」
 「あぁ、 D U G の地下2階ね、了解! 本当に大丈夫だろうな、無茶は絶対すんなよ! マジで気お付けろよな! じゃーコレ……」



 キャリーケースを巴から受け取った卍は、2つのキャリーケースを持って、ビルの中へと入って行く。
  
 エレベーターホールにはハングル語で書かれた案内板が有る。いちよう指定された6階の所を見たが、ハングル文字が読める訳でもなく。手に持った旅行雑誌をゴミ箱へ捨てると、卍はそのままエレベーターへ向かった。

 ロビーの壁にはまた△から覗くシオンの片目が、幾つも気味が悪いほど連なって貼られていて、卍が歩けばシオンの片目も卍を追いかけた。シオンの目に追いかけられたまま卍はエレベーターに乗り6階へ上がるとドアが開く。



 「アンニョンハセヨ、チャルオショッスミダ……」




 ハングル語でフザケて話し掛けるシオンが卍を向かえるように、6階のフロアに立っていた。秘書の女が卍の持って来た2つのキャリーケースを受け取る。卍はシオンに連れられて、フロアの奥にある大きな扉の開いた部屋の中へ入って行った。
 部屋の扉が閉まり、さっきまでの外の喧騒が嘘のように消える。物音一つしない静まり返っただだっ広く薄暗い部屋の中央に、黒光りした革張のアンティークの椅子に足を組んで座る、ダークスーツの男が居る。

 卍は男の向かいの椅子に座らされ、シオンも側の椅子に腰掛ける。

 「君はなんと美しく、実に魅力的な女性だ……」

 男は卍にそう言うと、秘書の女がアタッシュケースを持って来て卍の前に膝を付き、札束の詰まったケースの中身を見せた。



 アタッシュケースを受け取り卍は現金を確認すると、「確かに、ではこれで失礼します。縁があればまた」と、言って、足早に席を立とうとした。

 「まあ待ってくれ、また追加分を頼みたいんだが」

 「ごめんなさい、私は少し東京を離れます。いつかまた、縁があれば妥当な値段でお譲りするわ」

 ダークスーツの男にそう言って席を立つと、卍は笑みを浮かべて側に座るシオンと眼を合わせた。

 「そんな事は不可能よ……」




 卍の顔から笑顔が消える。シオンの目に見詰められ、頭の中に直接シオンの声が聞こえてくる。一瞬電気が走ったように体が痺れて、また強い目眩がした。卍は眉を顰めると、シオンの目を見詰めたまま、コレはいったい何……? と、困惑して立ち尽くす。

 「どうぞ」、秘書の女が紅茶を入れて持って来た。
 「結構です」と、卍は断る。ダークスーツの男は蛇のような目を鈍く光らせ、卍を見据えて言う。

 「まぁ座りたまえ、言っただろう、君の持っているモノは特別だって。他のモノでは代用できないんだよ」
 「特別だって、何が特別なの? 」
 「それは簡単に言えば、君が持っているモノが、人を目覚めさせてしまうからだよ」



 小さく卍が失笑すると、ダークスーツの男とシオンは、秘書から紅茶を受け取り口を付ける。

 目眩がする卍はもう一度椅子に腰掛けると、眉を顰めて蛇のような冷たい目を持つ男を見据えて言った。

 「目覚めるって? 具体的に何からどう目覚めるのか言ってくれないかしら? 」

 「もう十分君は気付いている事だろう。目覚めるとはその真逆にも作用するという事だが。言うなれば、我々がコントロールしている全ての事、この現実世界の事だよ」




 「へぇーっ、そぉーなの。凄いわね。どうやって貴方達がこの世界をコントロールしているのかしら? 」

 「フン、それを私に言わせたいのか? まぁいいだろう、聞いておくがいい。君にとってはこれとない機会だ。我々が無意識のうちに人々をコントロールして、さも自分の意志や考えで行動していると思わせる事など容易い事。そんなものは単純な情報操作と刷り込みで十分だ。今や人々は飲料水に入れられる科学物質や、電気から生じる電磁波などに寄って、脳の中の松果体が完全に石灰化しているからね。だが君の持っているモノは、石灰化した松果体を覚醒させてしまう作用があるのだよ。死んだはずの脳細胞を、完全に蘇らせてしまう。私たちが時間と能力と莫大な予算を注ぎ込んで作り上げたシステムに、見事に反作用してくれたという事だ。そして興味深い事は、私たちが調べたところ君の持っているモノは特異な染色体を多く含み、今もミカドに仕える忌部氏いんべうじだけが持つ、門外不出の縄文大麻と殆ど成分が一致していた。知らないと思うから教えておくよ。忌部一族とは、3・4世紀頃の弥生時代から時の大和朝廷成立の為大きな役割を果たしてきた。けがれみ嫌い、神聖な仕事に従事する集団との異名を持つ有力な豪族であり、朝廷の神事一切を取り仕切っていた。そしてそれは現代においても尚、受け継がれている。言ってる意味が分かるかな? 要は君の持っているモノは他のモノと比べて特異な染色体の為、方向、進路、方向性といったベクトルの数値が振り切っている。空間における大きさと方向を持った量がずば抜けているのだよ。忌部氏の持つモノと成分があらかた一致するのだから当たり前の事だが、我々に作る事はできない。君は当然経験して気付いているはずだ。君の持っているモノが他のモノと比べ、物事の向かう方向と勢いが多次元の扉を開き、神がかり的に繋がって行くことを。それは我々も数多な時間と予算を費やして研究し、探し求めていたもので、脳の松果体を覚醒させる作用だ。人間の松果体の覚醒をコントロールする事ができれば、我々は4次元を開き5次元へとシフトでき、そこで完全なる新しい秩序を生み出せる。実態世界と相対世界の陰と陽が、時空を超えて融合する。つまりそれは進化によって目にする新たな真理だ。人々は覚醒し、我々が作り出す新たな次元に新しい真理を見る。これで我々の揺ぎ無き新時代の N W Oニューワールドオーダーが完結する。だから君にも参加してもらいたい。君は頭がいいから分かってる事だとは思うが、死ぬまで奴隷のままでいるのは嫌だろう? このモノは君が作ったのか? でなければ君はコレをどこで手に入れたのか? この素晴らしい遺伝子を受け継ぐ種を持っているのか? 詳しく私に教えてくれるだけでいい。我々に協力してくれるのであればその見返りに、君は想像を超えた見た事もない世界を目の当たりにする。そしてこの世で望む物全てをその手の中に……。そう、君は私たちの仲間となる。我々と同じ支配する側としての、選ばれし代理人に……」

 足を組んでアンティークの椅子にティーカップを持って座る、会長と呼ばれる爬虫類顔のダークスーツの男の、蛇のように冷たい目を卍は見詰めて言った。

 



 「狂ってるわ……」

第15話 Blue Dream

第15話 Blue Dream

 
 
 街中で流星など見えるわけもなく、人混みに身動きを奪われた巴がビルの谷間から見上げる夜空には、規則的に点滅を繰り返す薄汚れたハングル文字のネオンの明りが、よどんで灰色がかった夜空におぼろな原色を浮かび上がらせている。




 新年を祝う半島の飾り付が貼られたビルの壁面ガラスに映り込んだ、紅く染まる自分の眼を見詰める巴は、断片的なビジョンが蘇るかのように、無意識に手の平を片眼に被せた。

 混沌の炎に包まれ身悶えする屍の片眼が大きく開かれる……

 小雨が降り始めて人の波にチラホラと傘が混じり始めると、ビルの壁面越しに巴をジッと見詰めるツヅラと眼が合う。色白なツヅラの顔はとても小さく首が長い。小雨に濡れるツヅラの体が一瞬白い毛に覆われた四足に見えると、巴はギョッとして後ろを振り返る。



 ジジジジジッと、雨に打たれたハングルのネオン管がノイズを放って、虹色の原色に照らし出す人混みの中に、もうツヅラの姿は消えていた。その代わりにハゲ散らかった薄汚いトレンチコートを着た中年オヤジが、卍を迎えに来た巴の前に突然立ちはだかる。

 「なんスカ……? 」

 オヤジは黙って懐ろから警察手帳を取り出して巴に見せる。

 「職務質問だ! ここで何をしている? 身分を証明する物を見せろ! 



 上着のポケットの中に有った J Tジョイントを1本、巴は咄嗟に手で握り潰した。憮然とした表情で刑事の目を覗き込み、腐った息を放つ死んだ魚の目をした歯抜けの刑事に眉を顰めて聞く。

 「あんた本物か……? 」
 「交番で話してもいいんだぞ! 」
 「身分証なんて今持ってないですよ」
 「じゃー氏名、年齢、住所を正直に言え! 」

 その時、ビルから出て来た卍の姿を見た巴は、刑事の職質に早口で適当に答え、人混みの波に姿を消す卍の後を追い掛けようとすると、刑事に強く腕を掴まれる。

 「何処へ行く! 」
 「離せ! 」

 手を振り払って、巴は卍の後を追う。


 雨脚が強くなり、雑踏に消えた卍を人を掻き分けて巴は探すが、完全に姿を見失ってしまう。待ち合わせをした D U G の地下にも下りて見たが、店内に卍の姿はない。嫌な予感がした巴は急いで店を出て、溢れかえる人混みの中に卍を探しているうちに、JR新宿駅の前に来ていた。

 ずぶ濡れの巴は、人の波が駅へと吸い込まれて行くのを見詰めていてハッとする。

 「この光景は前にも見た。間違いない、完全なデジャブだ」

 駅の改札を飛び越え、巴はホームに続く階段を駆け上がって行った。



 肩で大きく息をすると、人で埋め尽くされたプラットホームに卍を探す。けたたましく流れるアナウンスに鮮明なビジョンが幾つもシンクロしている。

 「どこだ! 見たことあるぞ! どこにいる! 」

 耳障りな音を掻き鳴らしてホームに電車が入って来た。激しい雨に遮られた向かいのホームに、細かく震えるサブミニナルの残像のように、四足で立つツヅラの顔をしたケモノの姿を巴は見る。




 「ツヅラ! 」

 ツヅラの名を口走ると、急いで階段を下りて行き、隣のホームへ続く階段を人を掻き分けて駆け上がって行く。そして電車を待つ人の列の先に卍を見付けた。
 ホッと胸をなで下ろし、巴は安堵の表情を浮かべて卍に近付いて行くと、ホームに水しぶきをあげて電車が入って来る。

 咄嗟にさっきの死んだ魚の目をした刑事を思いだした。後を付けられている気がして卍から一瞬眼を離すと、歩きながら後ろを振り返る。その瞬間、ドスンと鈍い大きな音がホームに響き渡り、巴はビクンと体を強ばらせた。

 辺りに大きな響めきが走り、いくつもの悲鳴が聞こえる。スローモーションのように巴がゆっくりと振り返ると同時に、電車の急ブレーキの音がその場の全てを掻き消した。


 2 


 冷たく静まり返った通路の長椅子にずぶ濡れの体で沈む巴は、床に雨水を滴らせ、懐ろに血糊がコベリ付いた卍の手榴弾を握っていた。
 意識不明の重体で I C U に運ばれた卍の様態を聞いて、絶望的な医者の言葉に、巴は崩れ去るように床に手を付く。




 すい臓損傷、じん臓損傷、膀胱損傷、口腔こうくう粉砕骨折、骨盤骨折、鎖骨、助骨……。

 意識が戻るかどうかも解らず、覚悟しておくようにと言われ、巴は血の気が引いた。硬直した屍のように長椅子に沈んだ重い体をどうにか起こし、命だけは絶対に助けてくださいと在り来たりな言葉しか医者に言えず、警察の姿が見えると巴は姿を消した。



 雨上りの朝焼けに紅く染まった街に白い息を震わせ、卍から流れ出したおびただしい鮮血の色に全てが染まったように、そびえ立つビルの谷間の血塗られた道をただひたすら歩いて行くと、ゴールデン街を突き抜けた路地裏で、ゴミ出しをしていた D G と鉢合わせる。

 濡れた体で死人のように血の気が引いた巴の顔を、D G は唖然と見詰めて言った。

 「どうした……? 」




 いきなり懐ろから血のコベリ付いた手榴弾を取り出して見せた巴を、D G は辺りを警戒しながら客の引いたカゴメの中へ引き込んで椅子に座らせた。
 ずぶ濡れで手榴弾を持ったまま頭を抱えてカウンターに突っ伏した巴から手榴弾を取り上げ、ロックグラスに C Cカナディアンクラブを注ぎ巴の手に握らせると、巴は一気に C C を飲み干す。

 「俺には見えてたんだ、前からこうなることは解ってたんだ、俺はあいつを助けることができたんだ。なのに眼を離しちまって、あいつは……」

 取り上げた手榴弾に生々しくコベリ付いた赤黒い血糊を D G は見詰めると、カウンターの下へ手榴弾を隠した。

 「何があった? 巴! 何があったんだ……? 」




 大粒の雨に打たれ、血の海に染まった線路の上で、卍は白目を剥いてケイレンしていた。
 ホームから飛び降りた巴は、電車に跳ね飛ばされた卍に覆い被さる。

 真っ赤な鮮血が口から泡になって溢れ出て、血の泡の中から抜けた白い歯が何本か溢れ落ちた。
 細かくケイレンを繰り返し、瞳孔の開き切った眼をシロクロさせる卍の瞳からは生気が抜けていき、そして意識を失う。

 卍が死の淵へ深く沈んで行くのが見え、どうすればいいのかパニクる巴は卍の手を強く握り、卍の名を大声で叫び続けた。

 線路の濡れたレールの上に、カゴメで皐月が卍の上着に押し込んだ、(悪魔の目がのぞいてる)と、片眼の絵が書かれたメモ紙が、雨に濡れて張り付いている。



 駅員たちが数人急いで駆け付けると、血塗ちみどろで意識を失った卍をタンカに乗せて線路から運び出す。兄弟だと伝えた巴と一緒に救急車に乗せると、救急隊が卍の応急処置を始める。
 服をハサミで切り裂いて気道を確保し、酸素吸入や止血の処置をしている時、雨に濡れた救急車の剃りガラスの窓にベッタリと、死神が死を確認するように、死んだ魚の目が張り付いて中を覗き込んできた。



 ゴトン、と、重みの有る鈍い音が車内に響き、卍の血で真っ赤に染まった手榴弾が救急車の床に転がる。

 隊員に見られないように素早く拾い上げると、巴は自分の懐ろへ手榴弾をねじり込んで隠した。
 だがそれを、雨粒が滴る救急車の窓にベッタリと張り付いた、死んで腐った魚の目が、薄ら笑いを浮かべて確りと見据えている。

 救急車が急発進する。コルセットで固められた血塗れの卍は全く意識を戻さぬまま、東京女子医大の I C U へ搬送された。



 カゴメを後にした巴は、朝日に照らされた黒いカラスがゴミを漁る、人気の消えた新宿の街をさ迷うように歩いて行く。
 いったいなぜこんな事になってしまったのか訳が分からず、様子のおかしかった卍を見失ってしまった自分への嫌悪感から、魂の抜け殻ようにただ街をひたすらうろついた。

 いつの間にか気付けば中野のアパートまで来ていて、階段を上がって自分の部屋の前まで来ると、背後かろから突然不気味な声が聞こえる。

 「ねーちゃんは、死んだか~? 」



 振り返ると、そこには薄汚れたヨレヨレのトレンチコートを着た刑事が、2・3本しかない茶色く黄ばんだ前歯を剥き出して、薄ら笑いを浮かべて立っていた。
 巴は無表情のまま自分の濡れた懐ろに手を入れると、刑事は突然「ひぃぃぃーっ」と、素っ頓狂な声を上げて勝手に地べたに尻餅を付き失禁した。

 地べたを這いずる刑事を見下ろして、巴は懐ろから取り出した鍵をドアノブに差し込む。すると大勢の足音がドタバタと通路に響き渡り、屈強な男達が勢いよく階段を駆け上がって来る。

 大勢の男達にあっという間に囲まれて、巴は身動きを取れなくされた。そしてその中の一人が、巴の顔の前にガサ状を近づけて見せる。


第16話 DJ Short Blueberry

第16話 DJ Short Blueberry

 
 
 新宿警察署の留置所に拘留されて48時間が経った。接見禁止の巴は国選弁護人を私選にして D G と連絡を取る。



 部屋からは15k の G Jガンジャ が押収された。しかしその3分の2は処分してなかった L Fリーフだ。だがそれをマジで検事に説明したところでどうにもならない。
 彼らにとっては B Dバッズも L Fリーフも枝や根っこも、下手すりゃ種だって、まるで鬼の首でも取ったかのように。G Jガンジャの全てが悪の権化と信じて止まないのだから、いくら真実を語っても欲求不満のババアのようにヒステリーを起こす。全く自分でものを考える事のない、思考が停止したバビロンのゾンビには改めて呆れてしまう。



 寧ろ、自分たちで何も考えずに言われた事だけを間に受けて信じ込んでしまうお前たちの方にこそ、必要なものなのだというにもかかわらず。

 しかし、善悪は別として、それがL Fリーフで有ろうが法律で禁じられたモノが出てしまった事は仕方ない。
 巴は素直に15k の所持を認めると、T M大麻取締法違反の T M大麻の所持で、起訴される事となる。




 弁護士は量が多いので、裁判では身元引受人に身内を立てないと危ないと言う。
 営利の証拠は出てないものの、巴の部屋からは G Jガンジャと一緒に電子量りや真空パックの機械が複数押収されている。そこへ大量のペーパーやクラッシャーや B Gボング等も複数有り、現状証拠として限りなく営利に近いと疑われていた。それに巴には少年の時に T M大麻の前歴がある。
 だが巴は、身元引受けや証人を立てるのを断わる。弁護士には卍の様態を D G を通じて伝えてくれとだけ頼んだ。そして弁護士は、卍の意識は戻らないと D G からの伝言を巴に伝えた。

 連日連夜、刑事の取り調べが続いた。死んだ魚の目をした刑事はあの日以来一切姿も何も見せず、妙な事に他の刑事に聞いても何の事だとなぜだか惚けられる。ちゃんと説明をしても、刑事達はG Jガンジャのせいにして、まるで俺が有り得ない幻覚を見ていたかのように誤魔化す。そして話をすり替え、大量の G Jガンジャを何処から持って来たのか? 誰に売って居たのか? 脅しと愛情が取り調べのセオリーの如く、毎日同じ事を何度もしつこく聞かれる。

 無論、巴はバレバレでも適当に、バカでも解かるようなストーリーを創作して、それらしく答えていくしかなかった。




 「私の部屋にあった 大麻は、玉川の河川敷で偶然生えていたのを見付けて取って来ました。全て自分で使うために持っていました」
 「どうやってあんな沢山持って来たんだ? 」
 「夜中に原チャリで取りに行きました」
 「誰とだ? 」
 「一人です」
 「一人で原チャリでどうやってあんな沢山持って来れるんだ? 」
 「4・5回は一人で取りに行きました 」
 「まだ有るのか? 」
 「いや、自分の見る限りでは全部取りました。それにもう冬ですから、有っても枯れてるでしょ」
 「本当だな! 」
 「ハイ、本当です」
 「よし、じゃー明日その場所へ連れて行くぞ! 案内できるんだな! 」
 「ハイ、どうぞ、いいですよ」
 「部屋に幾つも有った電子量りや真空パックの機械は何だ? 」
 「何だって言われても、何度も言うように、電子量りは重さを量る為で、真空パックの機械は空気を抜いて、アレの酸化と乾燥を防ぐためです」



 「バイするためだろ! 」
 「売なんかしませんよ、あくまでも自分でどれ位の量が有るのか確認したかっただけです」
 「ふざけんなよお前! 何で自分で使うた為だけなのに1キロずつ真空にしてパケ別けしてるんだよ! 」
 「だから、1キロに別けてたのはキリがいいからで、真空にしてたのは空気に触れず酸化と乾燥を防ぐために……」
 「お前! 自分がどういう立場か全く解ってないみたいだから俺がお前の為に解り易く教えてやるけどな。今正直に全部言わないと後で絶対後悔する事になるぞ! 今正直に全てを話せばもしかしたら執行猶予にもなるかも知れない。だけどお前がそうやってウソばかりついてると、大麻15キロの大量所持、川に偶然生えていたなんて有り得ないからな! お前が生やしてたんだろが! すると無免許での大麻の栽培だ! それに道具が揃っちゃてるからな! 間違いなく状況証拠で営利だ! 所持に栽培に営利が付くと、コレは完璧に実刑だな! 刑務所行きだ! お前の年だと少刑だろ! キツイぞ! 少刑は成人の刑務所よりヤバイからな。だから悪いことは言わないから手遅れになる前に、今のうちに全部正直に話せ、なっ! 俺も人の子だ、お前が正直に全て話せば俺にも情ってモンがある。素直に全てを話せば罪も軽くなるんだぞ。このままじゃお前の将来が滅茶苦茶になる。お母さんを悲しませるな……。売ってたんだろ 、大麻を……」

 「いいえ」




 数日後……

 「お前は誰に売ってたんだよ! 言えよこのクソガキが! 」
 「売ってませんよ」
 「じゃーお前が一人で全部使ってたっていうのか? 狂った幻覚見て音楽聞いてオカシクなったり、女と変態 S E X する為に使ったりしてか? 」
 「別に覚せい剤やヘロインじゃないんだから、狂った幻覚なんて見ないし、音聞いてオカシクなったりもしませんよ。いい音であればあるほど最高にグルーヴを感じてメッセージが魂に伝わり、雷に打たれた見たく眼が覚めますけどね。 S E X だって相手と深くシンクロして、より相手と自然に理解しあえるようになる。陰と陽の融合ってやつですかね」
 「お前なー、もっと解り易く具体的に言え! 調書に書くんだから、何? 雷に打たれたグループがいたとか? シロクロセックスしてたとかじゃなくて? もっと具体的な! お前が所持していた大量の大麻を! お前は何のために使ってたんだ!」 

 「はい、具体的に何のために大麻を使っていたかといえば……。今のこの幻覚以上にヤバイ世界で生き抜くため。自分の精神や肉体や魂を、病んで生ける屍にさせないために。日々深く目覚め、治療し、調和し、覚醒する。コノ虚構の世界と現実を理解して、そこから己を解き放つために使ってました」




 「テメー、ふざけるな! 」

 刑事は力いっぱい拳で机を叩く。取り調べを途中で辞め、悪臭芬々ふんぷんたる豚箱へ巴をブチ込んだ。検事には10日間の拘留延長を請求され、巴は鉄格子に囲まれた留置場の狭い運動場から、微かに覗けるよどんだ新宿の空を眺め、無意識の中に刻まれた片眼の開く音に耳を澄ました。

 1週間が過ぎた頃、面会に来た弁護士から D G の伝言を聞かされた。卍が意識を取り戻したと。
 巴は微笑み、冷たい牢屋の鉄格子を片手で強く握ると、もう一方の手の平で自分の片眼を押えた。



 「混沌の炎に包まれ身悶えする屍の片眼が大きく開かれる……。やっと闇黒からお目覚めか卍。お前なら必ず戻って来れるって、信じてたぜ……」


 2


 年が明けて今年は元号も変わり新しい時代が始まると言うが、この国は何も変わりはしない。ただ、ユタが突然卍の前に現れたと、D G の伝言を弁護士から聞く。
 卍は意識を取り戻したが、幾度となく大掛かりな手術を重ね、内臓破裂した卍のハラワタは、何度も真一文字にかっ捌かれては縫い合わされ、気絶するほどの激痛に襲われる卍はすっかりモルヒネ中毒になっているという。

 砕け散った顎の手術では、上下の歯茎をワイヤーで完全に縫い込まれて固定され、口がまったく開かず話もできず、もっぱら筆談で意思の疎通をはかっている。
 術後の卍の様態は、驚異的な回復力で順調に体が再生していると聞いたが、血の滲む卍の歯茎に縫い込まれた鈍く輝くフルメタリックのワイヤーを想像する。それじゃー美人も台無しで、卍はヘルレイザーに出てくるチャタラーになってしまったのではないか思ってしまう。



 それにモルヒネ中毒だと聞き、前にハードなゲリラ戦で卍と大陸のジャングルの奥地で試した、双獅子印の4番ヘロインとはどう違うのかと一瞬気になる。5次元の虚構の中で色鮮やかに咲き乱れて輝くお花畑に、また生暖かく揺られているのかと想像する。

 そんな最悪な悪魔の拷問に比べれば、今の自分の置かれた状況など屁でもなく、Go for broke当たって砕けろ……! いつでも地獄へ行くものと、とうに覚悟は決めている。



 巴は懲役2年の実刑を食らい、未決拘留60日を引かれ通算1年10ヶ月の少刑送りとなった。アカ落ちすると頭を坊主に刈られ、人の垢を塗り込んだような臭みのする囚人服を着せられる。何もかもがすえた臭いの東京拘置所の冷え切った独居房で、少刑への移送待ちの状態にあった。




 弁護士は巴が T M大麻の所持だけで実刑を食らった最大の要因は、巴が裁判で謝らなかった事だと言う。
 検事や裁判長に対して法を犯した事は認めたが、それを反省して謝る気などさらさらないと、初めから最後まで貫いた結果が実刑だと。

 弁護士は判決に不服を申し立て控訴するかと聞いたが、巴は断わる。

 クソのような根回しと駆け引きをして、これっぽっちも悪いと思っていない事を、あたかも悪うございましたと頭を下げる。間違っているなどとはこれっぽっちも思ったこともない事を、もう二度と致しませぬと、盲目に法に溺れる検事とおごる無知な裁判官の権力に媚びへつらって尻尾を振り、顔色を伺って揉み手をしながら屈した振りをして自分を卑下ひげするなど、まっぴら御免候ごめんそうろう。



 魔女裁判じゃ在るまいし、物事の価値観は一つじゃないが真実は一つ。

 悪いと思ってもいない事を、アンポンタンに洗脳されたオツムに刷り込まれて盲目に信じ込むゾンビ達が。全く根拠のない常識などというプロパガンダをカサに、ヒステリックな実力行使で何が何でも謝らせようとするのだから、これでは子供のイジメと変わりない。
 大の大人達が揃いも揃って公の場で率先して税金を無駄に食い潰してイジメをやっている社会なのだから、子供のイジメが無くなるはずもない。それに俺が屈するのであれば、今も地獄のお花畑に微睡む卍に顔向けすらできはしない。


 その日、東京拘置所に刑事が調べで来たと刑務官に言われ、巴はすぐにピンと来た。きのう回覧された新聞に興味深い記事が小さく載っていた。
 

 昨夜未明、新宿で停車中の車に手榴弾のような爆発物が投げ込まれ、40歳の男性一人が死亡。24歳の女性一人が重傷。警察は爆発物を詳しく調べ、車に爆発物を投げ入れ現場から逃走した50代位の男を殺人容疑で探していると有った。

 「お前何か他にも余罪があるのか? 調べに来たのは公安の刑事だぞ! 」
 「いえ、身に覚えがないですけど」

 連行する刑務官に公安の刑事が来たと聞かされ。瞬間、「この傷はワシが二十の時に役所を爆破して、公安に受けた拷問の跡じゃ……」と聞いたマナの言葉と、背中の傷のケロイドが脳裏に鮮明に浮かび上がる。



 殺風景な調べ室に入れられると、そこには中野のアパートで失禁していらい顔を見せていなかった、死んだ魚の目をした腐った幻のゾンビと、初めて見るサングラスを掛けたスーツ姿の男が椅子に座っていた。巴は二人の前に座らされ、「終わったらインターホンで知らせてください」と、刑務官は言って部屋を出て行った。

 悪臭を放ち、2・3本しかない茶色く黄ばんだ前歯を剥き出して、腐敗しきって濁った目が、巴を見据えて言った。

 「お前手榴弾どこにやった! 」
 「何の話ですか? 」
 「惚けんなよ! 見てたんだよ俺はハッキリとこの目で、お前がねーちゃんの手榴弾を拾って懐ろに隠したのをよ! 」

 コイツは公安だったのかと、巴は腐った刑事の目を見据えた。


 「けどおかしいじゃねーか、何で手榴弾抱えて電車に跳ねられたのに、手榴弾ハジケなかったんだ? だからこっちもてっきりパチモノかいなと思ったけどな、どうやらマジネタだったらしいな! 」

 刑事は口から悪臭を放ち、巴が刑事の腐りきった口臭に顔を背けると、サングラスを掛けた男から紙切れを受け取り机に叩き付け、マダラに禿げ上がった頭皮を掻き毟るように身を乗り出して言う。

 「 R G D - 5、ロシア製手榴弾! お前の持っていた手榴弾はコレだろ! 」



 刑事が机に叩き付けた紙切れには、ロシア製手榴弾 R G D - 5のパンフレットのような能書きが書かれていた。

 「お前はロシアと繋がってるのか? 国家の治安を危ぶませる反体制の許すまじき存在め! お前のような危険分子は本来ならばテロリストとして厳罰な処置が必要だ! この非国民め! 命拾いしやがって……。それとお前、ホームレスに知り合いがいるな! 」
 「何だそりゃ? 」
 「まぁいい、正直に話せと言っても話すはずねーしな、どのみちお前にはアリバイが有る。しかしねーちゃんは息を吹き返したらしいじゃねーか、それで乞食を使って殺らせたか! 何も知らねーガキ共め、お前達はゲリラ戦の経験者だろ! 言っとくがな、コレは警告だ! お前達はとっくに虎の尾を踏んでるぞ……」





 「そうか、やっぱりお前たちか……、卍を殺そうとしたのは……」

 「さぁ、言ってる質問の意味が良く解らないな……」

 翌朝、巴は川越少年刑務所へ移送された。

第17話 Crystal METH

第17話 Crystal METH

 
 
 不様に歯茎に縫い込まれていたフルメタルのワイヤーや、内蔵に突き刺さっていた何本ものカテーテル類は外す事ができたが、損傷した臓器の手術を優先した為に、骨折した骨盤の骨は折れたままになってしまった。その為、へそから下の下半身が麻酔を打ったかのように全く感覚がなく、完全に神経が麻痺している。

 それでもどうにか車椅子に乗れるまで体は回復していたが、何度も切開と縫合を繰り返した下腹部を襲う猛烈な激痛には耐え切れず、卍はナースコールで看護婦を呼び、栄養剤が入った点滴のバックにモルヒネを注射させた。


 頭上から垂れ下がり左腕の静脈の血管に突き刺さる点滴の細い管の中を、モルヒネが一滴ずつゆっくりと滴り落ちてくる。

 卍は目を瞑り、自分の血管に突き刺さる銀色の針の先端から血液の中へモルヒネが染み出す瞬間、0.001秒後には、卍はモルヒネが体内に入って来た事を悟る。そして生暖かい風に吹かれると、卍はいつものお気に入りのアンティークな木製ロッキングチェアに揺られて、草原の小高い丘の上から眼下に広がる半島の、美しく吸い込まれるような紺碧こんぺきの入江を見詰めた。



 白昼の空には光明な白銀の満月が、有り得ない大きさで頭上に迫り、足元には今が盛りとばかりに鮮やかな真紅に染まる曼珠沙華まんじゅしゃかが、見渡す限り妖艶に咲き乱れ、打ち寄せる波のように無限に開花を繰り返している。

 これ以上の心地よさはこの世にない……

 丘を吹き抜ける澄んだ風に微睡むと、卍は空に紅い流星を探す。



 モルヒネの効力はだいたい4・5時間で失われ、しばらくするとまた卍はモルヒネを打ってくれとナースに頼む。

 頻繁にモルヒネの注射をせがむ卍に看護婦長は体に毒だと言って断わるが、卍は引き下がらず、必要に御託を並べ続けた。看護婦長は根負けし、これが最後とモルヒネのアンプルを1本持って来ると、もうしばらくはモルヒネを要求しないと卍に約束させる。
 とは言っても、強い痛みがあれば打たざるを得ない訳だから、その場しのぎの確約でしかない。それでも最期の1本と婦長に何度も念を押されたモルヒネが、ガラスアンプルの頭部を折って開封する時に、「ポンッ」と鳴る小粋な音が、まるで高級シャンパンの栓が抜かれた音のように聞こえて失笑する卍に、アンプルから注射器へ吸い上げられたモルヒネが、静脈の血管に直結する点滴バックに注射される。



 生暖かい風に吹かれると、卍はすでに丘の上のロッキングチェアに揺られて微睡んで居る。

 下半身は麻痺したままでも上半身は普通に動かせた卍は、D G が見舞いに来ると点滴をしたまま車椅子に乗って病院の屋上へ上がり、高層ビルがひしめくバビロンを眺めながら J Tジョイントのケムリを立ち昇らせた。



 預かっているG Jガンジャから100g 程ボランティアに回していいかとD Gに聞かれ、卍は頷く。それと最近新宿中に撒かれているヤバイチラシを見て欲しいと、D G が四つ折りにされた店のフライヤーのようなチラシを卍に渡した。大量のケムリを吹き出しながら受け取ったチラシを卍が広げると、そこには( N )を文字とったロゴの下に文章が書かれていた。


      宣言

 
 バビロンニ散在シ真実ヲ知リ得ル民ヨ、覚醒セヨ!

 数多ナ時ヲ不当ナ権力ニ弾圧サレ続ケテキタ兄弟タチヨ、団結セヨ!

 吾ラハ幾度トナク平和リニ自由ト開放ヲ国ニ求メタ。

 憲法第13条・個人の尊重・生命・自由・幸福追求ノ権利ノ尊重

 憲法第14条第1項・法ノ下ノ平等

 憲法第19条・思想及ビ良心ノ自由

 憲法第25条・生存権・国ノ生存権ノ保護義務

 憲法第31条・法延手続ノ保証

 憲法第36条・拷問及残虐ナ刑罰ノ禁止

 国ハコノ憲法ニヨル能書ノ下、権力ヲ横暴ニ行使シ、汚イ遣リクチデ人ノ尊厳ヲ踏ミニジミ、カエッテ多クノ兄弟達ガ罪ナキ犯罪者ノ烙印デ額ヲ焼カレ、管理サレ、謂レノ無イ罪ノ汚名ヲ背負ワサレ、獄中トイウ名ノ強制労働収容所へ送ラレテシマッタ。

 コノ狂気ノ現実ヲ目ノ当タリニスルナラバ、人ヲ家畜化シテ暴騰シ続ケル国ノ行為ニ、自ラ真ノ自由ヲ求メ解放セントスル者ノ社会的行動ヲ起コセルハ寧ロ必然。

 兄弟ヨ、吾々ノ真ノ敵タル者ハ、政府ヲ自在に操リ人ヲ人トモ思ワヌ人間ノ皮ヲ被ッタ死神デ有リケモノ達デ有ル。奴ラノ巧ミナ工作ニヨッテ民ハ洗脳サレ、病気ニサセラレ続ケテイル。目ハ開イテイルガ真実ハ何モ見エズ、眠ラサレテイル。ソシテ露骨ナ血族階級社会ノ生ケ贄トシテ、病気ニサセナガラ生キ血ヲ吸ウ。

 吾々ハ奴等ヲ知ッテイル。

 民ハ呪ワレノ悪夢ノウチに盲目ニ死神ニ誘導サレ、何モ気付カズ自ラ進ンデ死ノ階段ヲ駆ケ上ッテ行ク狂気ノ世界ニ生キテイル。

 今、真実ヲ知リ得タ民ガ覚醒シ、多クノ民モ眠リカラ目覚メル時ガ来タ。

 吾々ハ自由ノ実行者デアリ、国ノ洗脳政策ノ奴隷デ有ル事ヲ断固拒否スル。

 吾々ハ人間性ノ原理ニ覚醒シ、人類最高ノ次元到達ノ完成ニ向カッテ突キ進ス。

 ネフィリムハカクシテ生マレタ。

 人ノ世ニ支配ナキ自由アレ。

 人間ニ光アレ。

 吾々ハ必ズヤ永住的ニ魂ヲ呼ビ起コス革新世界ヘ到達スル。

 サア、己ヲ解放シ、種ヲ育テヨ。

 

 文章の書かれたチラシの端には、種らしきモノが入った小さなパケが1つくっ付いていた。卍はパケを引き剥がすと中身を手の平に開ける。中には黒光りした種が10粒ほど入っていて、卍は種を見詰め指で転がす。



 「ネフィリム……。間違いないわね、コレはユタの仕業! 」

 意識を取り戻してもまだ口を聞く事が出来なかった時に、ユタは突然卍の前に現れた。たまたま新宿に来たと言うユタは、前に山で話した新宿ゴールデン街の外れに有るスナックカゴメの事を覚えていて、ユタが店に顔を出し、D G が連れてきた。

 「殺されかけた兄弟の礼はさせてくれ」

 口の聞けなかった卍はユタに言われ、相手の詳細を書き込んだメモと、現金、そして D G が持っていた、卍の血が染み込んで赤黒く染まった手榴弾と一緒にユタに渡す。



 何処までユタが本気だったのかあまり深く考えていなかった卍だったが、それから一ヶ月が過ぎた頃 D G が持って来た新聞で、ダークスーツの男が死に、秘書の女も重体になった事を知った。新聞にはシオンの事は載っていなかった。あれからユタは顔を見せない、まだ新宿に潜伏してると D G は言う。

 卍が手にしたチラシは今、ビルの壁面や電信柱や公衆便所など新宿の街中いたるところに貼り付けられていて、怪文書付きの G Jガンジャの種が撒き散らされていると、何処へ行ってもこのチラシの話題で持ち切りらしい。
 そしてチラシを街中に貼り付けているのがホームレスのオッサン達らしく、実際何人かホームレスが路地でチラシを壁に貼っている所を、 D G が見掛けている。



 このチラシにユタが関わっているのは間違いない。

 その真意が、羊に狼の見分け方でも教える気なのか? 本気で民を覚醒させるつもりなのか? それとも巴が獄中へ収監されてしまった事にたいしてなのか? そもそも手のこんだ冗談なのか? いずれにせよ本人に会って話を聞くまで解らない。

 確かダークスーツの男が、これは特殊な染色体を持ち、ミカドに仕える忌部氏いんべうじが持つ縄文 T M大麻と、殆ど成分が一致すると言ってたわ。
 第三の目を覚醒させ、次元の扉を開いて多次元にアクセスできてしまうケムリの、一つなのかも知れない。

 言われてみれば、確かにね……。



 点滴を打ちながら車椅子に体を沈め、病院の屋上の空えとへケムリを吹き出して笑みを浮かべる卍に、D G が思い出したように言った。

 「そうだ、巴からの伝言があった。K K公安警察が来た、身辺に気お付けろ」

第18話 Blissful Wizzard #420

第18話 Blissful Wizzard #420

 
 
 物音一つしない冷たく静まり返った通路に、コツコツと警備隊の靴音が迫って来る。隣の独居の前で靴音が止まると、狂ったように檻の中の囚人を叱責した。



 「コラッガキーッ! 何テメー体動かしてんだ! 今は運動時間じゃねーだろが! 」
 「ウッセンだよブタ野郎……! 」
 「何だこのガキャー、ナメてんのかこの野郎! 運動止めねーと保護房へブチ込むぞテメーッ! 」

 隣の独居からは息を切らせながら、「チッ……」と、舌打ちの音が聞こえて静まり返り、警備隊の靴音は遠ざかって行った。

 川越少年刑務所へ移送されて早々、巴は刑務官に反抗したとして処遇棟へ連行される。

 入所時、巴は手錠を掛けられロープで数珠繋ぎで少刑の門をくぐると、いきなり意味無く高圧的な威圧を繰り返す刑務官達に囚人服に着替えさせられ、自分の名前と称呼番号しょうこうばんごうの書かれたバッチを胸に付けられる。そして私物が領地りょうちされると、一列に整列させられて点呼を取られた。



 この時、余りにも芝居がかった軍隊みたく、バカみたいな大声で何度も点呼を取らされるのに呆気にとられた巴の表情が、目敏めざとく刑務官に見付かり、巴は激しく叱責される。

 「何だお前そのフザケたツラは、ナメてんのかこのガキ! 指先を真っ直ぐ伸ばして両手を体側たいそくに付けろ! 気を付けー! ぶぅわぁんごぅぅぅう番号! 」

 「420番……! 」

 そう、俺に官が付けた囚人番号は 420フォートゥエンテイ……、これなら俺も忘れる事がねーぜ! 


 
 しかしエゲツなく欲求不満なのか本気でイっちゃてるのか知れないが? ドでかくアホっぽい帽子を頭に乗せたゴリラなテンションのゾンビ達はどうしても、何が何でも俺を屈服させたい様子で、タバコのヤニくせー面を俺の顔ギリに近付け、マジでキスする寸前。ワザと唾を俺の顔に飛ばしまくっては鼻の穴をおっぴろげた。そして慣れない俺の動作の揚げ足を取っては、汚く罵り続ける。

 何ていうか、こうゆう環境に俺って突入すると、妙にテンションが昔から上がってしまう悪い癖がある。売り言葉に買い言葉ってやつで、俺もゴリラとテンションを合わせてしまった。

 「お前何だそのフザケた顔は! 」
 「フザケてなんかいませんよ」
 「フザケてるって顔に書いてあんだよ! 」
 「さぁー、俺の顔のどこにそんな事が書いてあるんですか? 」
 「テメーの面に書いてあんだよハッキリとよーっの野郎! 」
 「へーっ、俺の顔のどこに何がハッキリと書いてあんのか、アンタちゃんと説明出来んだろーなー! 」

 「何お前? 反抗……? 」

 「えっ……? 」

 突然警報ベルがけたたましく鳴り響くと、何処からともなく無数の靴音が迫って来る。



 呆然と立ち尽くす巴は、あっという間に警備隊に囲まれて揉みくちゃにされると、ゾンビたち数人に力任せに手足を引っ張られ、抵抗するこ事のできない飛行機と呼ばれるマヌケな宙吊り状態にさせられると、そのまま死体が運ばれて行くように、暗く冷たい通路の先へ連れて行かれ、保護房へ放り込まれた。

 手垢か血糊か赤茶色く汚れた壁が際立ち、その上に無機質に赤く点灯した監視カメラが巴を見据えている。薄明るい照明で窓は無く、耳障りな換気扇の音だけが虚ろな空間に響きわたっている。
 それに、どうしたらこんなに汚せるのだろうという、衝立もない和式便器が据えられている。見た目の予想を裏切らない悪臭が、監房に染み付いていた。

 巴は監視カメラに手を振ると、冷たい床の中央で結跏趺坐けっかふざを組み、噎せ返る悪臭に遠くアジアのスラムを思いだす。あのゲットーに比べればまだマシかと、巴は失笑して目を閉じる。



 分厚い鉄の扉の鍵穴がガチャガチャと大きな音を立てて扉が開き、巴は取り調べ室へ連行された。

 例の頭に乗せたアホっぽい帽子に金線がグルリと1本入って、よりいっそうアホっぽさが増した残念な不能顔のメガネのオッサンに取り調べを受ける。

 「何故反抗した? 」

 「反抗したつもりではありません。自分の顔にフザケてるとハッキリ書いてあると言われましたので、それでは自分の顔の何処にそんなフザケたことが書いてあるのかと聞き返しただけです。そう申しますのも、自分の顔にフザケてるなどとハッキリ書いてあっては、これからの獄中生活に多大な支障を来たしますゆえ、恐れながら自分の顔のどのあたりにフザケているとハッキリと書かれているのかを、是非ともお教え願いたいと、心から……」

 「もういい! 」



 ロウの仮面を被ったかのような無表情の金線に、巴は話を止められる。

 「分かった、お前の顔には何も書いてない。以上! 」

 取り調べは呆気なく終わり、巴はそのまま処遇棟3階の独居房へ入れられ、その日はそこで一夜を明かす。

 畳3畳程の独房には鉄格子の嵌った小さな窓は有ったが、窓の外には斜めにパネルのブラインドが貼られていて、外の景色を楽しむことは出来なかった。異様にカビ臭い湿った煎餅布団に、黒く垢がコベリ付いたカスカスの枕。便器はいちよう洋式だが、悪臭と汚れ具合は保護房とたいして変わらない。それでも私物を置く小さな棚と小机とペラペラの座布団が有り、小さな洗面台も付いていた。建物が古いせいかまるで戦前の牢獄にでもブチ込まれたようで、東南アジアで戦勝国に捕まった哀れな日本兵の気分で就寝する。



 次の日、起床、点呼、朝食を済ませて暫くすると突然扉が開けられ、「出房しゅつぼう! 」と言う号令が通路に響き渡る。
 サンダルを履いて廊下に出ると、今朝警備隊に食って掛かった隣の房の男と初めて顔を合わせた。
 檻の中で鍛え上げたらしい引き締まった体の胸に付けられたバッチには、黒須と名前が書いてある。
 軽く会釈して隣に並ぶと、黒須はふてぶてしくもカミソリのような鋭い眼光で、黙って目配せをした。

 「気を付け! 左向け左! 前へ進め! 」

 号令の合図で通路を中央階段の方へ進むと、同じ囚人が7人整列していた。警備隊は相変わらず高圧的に後ろへ並べと命令し、点呼を取られる。
 隊列を組んで1階まで降りると、外にある高いコンクリートの壁で放射状に仕切られた狭い運動場へ、3人ずつ押し込められる。



 巴は隣の房の黒須と、なぜか聖書を手に持つことを許可されているらしい、イオと書かれたバッチを胸に付けた背の高いスレンダーな黒人と檻の中へ入れられ、すぐに黒須が声を掛けてきた。

 「ブタどもに反抗したのか? 」
 「フザケてるって顔に書いてあるって言われてね」
 「それウケんなー、まぁブタに反抗すっとブチ込まれっからなコッチへ、でも1週間で戻されるよ」
 「戻されるって、何処へ? 」
 「何処って教訓だよ、まだ教育訓練受けてねーんだろ? 」
 「教育訓練……? 」
 「そう教訓。ほら、聞こえるだろ! 」

 鋭い目付きで黒須が自分の耳を指で指す。裏返る程の大声で自分の囚人番号を叫びながら、軍隊の行進の練習を繰り返す囚人たちの声が、堀に囲まれた少刑の空へと虚しく響き渡っていた。



 何故に、軍隊の行進の練習が必要なのだろうか……?

 壁に寄り掛かって爪を切っていた黒人のイオは、頭上に張り巡らされたキャットウォークから監視する警備隊に、しゃがんで爪を切れとジェスチャーされるのをシカトして、立ったまま爪を切っていた。巴はイオが脇に抱えた聖書が気に掛かると、警備隊の叱責が飛ぶ。

 「オイお前! 壁に寄り掛かって爪切ってんじゃねーよ! しゃがんでやれ! 」

 ゆっくりとした動作で足を折り曲げ、イオは地べたにしゃがみ込んで言う。

 「OK! Slave Driver奴隷監督 ……! 」
 
 「お前英語でもの言ってんじゃねーよ! 日本語分かってるくせによー、どうせ悪口だろこの野郎! 」

 警備隊はそう吐き捨てると、苦笑いを浮かべて歩いて行った。

 巴は頭の中で、別に悪口じゃない、的を得た真実だ。Slave Driver奴隷監督、奴らにピッタリじゃねーか。巴はイオを見据えると、思わずイオにギリで聞こえるぐらいの声で Wailers の歌詞を歌う。



 「Slave Driver The Table is turned Catch Fire ……」

 爪を切る手を止めたイオは、大きく広げた目で巴を見据える。そして Peter Tosh のコーラスのような綺麗なファルセットで、歌詞の続きを歌った。

 「Catch a Fire So you can` t Get Burned ……」

 すると警備隊がすっ飛んで来て、厚い金網で出来た檻の入口の扉を蹴り上げて怒鳴り散らしす。



 「なにうた歌ってんだこ野郎! ここはカラオケスBOXじゃねんだぞ! ふざけてんじゃねーぞお前ら! 」

 黒須が扉を蹴り上げた警備隊を鋭い目で睨み付けて、食ってかかる。

 「ウッセンだよこのブタ野郎……! 」
 「何だとテメー、もっぺん言ってみろこのヤロー! 」
 「なんべんでも言ってやるよこのブタがぁ! 」

 イオは警備隊と黒須の言い争いも意に介さず、ゆっくりと立ち上がって巴に近付くと、脇に抱えた聖書を掲げて言う。



 「救世主は現われない、 バイブルの中ではBlack Jews黒いユダヤは消されている……」

第19話 Satori - Mandala

第19話 Satori - Mandala

 
 


 意識が戻ってから半年が過ぎる。キツイリハビリを毎日何時間も続けていようが、麻痺した下半身は針で刺しても何も感じなかった。



 いつかナースたちの立ち話が耳に入り、私の下半身麻痺はもう治らないと言っているのが聞こえた。気晴らしに屋上でG Jガンジャのケムリをくゆらすも、あの時のナースの言葉ばかりが頭を過る。

 シオンの目を見た時から、私は何かに取り憑かれていたのか……? 

 電車に跳ねられた時の前後の記憶が全く戻らない。てゆーか私が電車に跳ねられたという記憶もない。気付けば病院のベットの上で、色んな機械に囲まれてて、体中から血が滲みだしていて、燃え上がる炎に体が焼かれるような悪夢と切り裂かれるような激痛の先に、赤い炎の中で笑みを浮かべて私をジッと見据える、悪魔の姿を見詰めていた。




 ただ、ダークスーツの男にられたことだけは分かる。最後に会っていたのが、ダークスーツの男だし、私を見るあの男の蛇のような目が、いつでもお前を絞め殺せると、無言で物語っていた。

 警察は駅のホームで見ていた人の証言で、私が自分から電車に飛び込んだと言っていたが。そんな証言は信用できないし、誰かはわからないけど、突き落とされた気がしてならない。
 何度もしつこく警察に事情聴取され、そのつど私は自殺する動機はないし、誰かに突き落とされたと言いきった。巴の事は病院に一緒に来たこと以外とくに何も聞かれず、│G J 《ガンジャ》の件には触れてこなくて助かった。それにもう D G が全て後始末はしてくれていた。それでも何故自分が新宿駅のプラットホームに立っていたのか解らない卍は、ダークスーツの男が死んだ今、あれだけCMに出ていたシオンも、広告からすっかり姿を消し去っている。     

 ケムリの中で走馬灯のように断片的なビジョンが霞んで見えても、永遠に完成しないパズルを組み合わせているようで。また何処かで、△から覗くシオンの目に見られているような気がしてならない……。



 巴はどうしてるかしら? G Jガンジャも無くてゲットーに居るのは最悪だろうけど。後1年ちょっと……。まだ先は長くて、お互い地獄の底に居る事は間違いないわ。 
  K K公安警察が来た、身辺に気お付けろ。と、巴からの伝言は聞いている。マナの背中のケロイドの傷が何度も脳裏に浮かぶが、どのみちこんな体じゃ気を付けようもないし……。
 卍は失笑して、点滴をした車椅子に沈む自分の体に絶望すると、地獄のバッドトリップがループする。




 病室へ戻ると卍はナースコールで、気落ちした現実逃避には最強のモルヒネを看護婦長に頼む。
 下半身は麻痺したままでも、驚異的な術後の回復力を見せる卍には、もうモルヒネは出せませんと医者からストップがかけられていた。
 それでも卍は痛みが酷いと嘘を付き、ナース達に食い下がる。出来ませんと一辺倒のナース達に、卍も半ば諦めかけると、何故か突然医者から許可が下り、モルヒネのアンプルをナースが1本持って来た。

 呆気にとられた卍の、まだ固形の食べ物を上手く咀嚼そしゃくできない栄養補給の点滴バッグの中へ、モルヒネが注射される。



 予想外にすんなりモルヒネが出たことに驚いた卍だったが、これも一生下半身麻痺の片端かたわになってしまった惨めな女への慰めかと勝手に思う。

 コレで超ネガティブなバッドトリップの炎も、オピウムの生暖かい風が吹き消すわ。そう……、ニルヴァーナ……!


 頭上から垂れ下がり血管に突き刺さる注射針の先端からモルヒネが染み出して来るのを、卍は青ざめた顔で眼を瞑り、小さく舌舐りをして待ち焦がれる。
 
 次の瞬間、卍はカッと大きく眼を見開く。そして自分の腕の血管に刺さる注射針を見据えてナースに聞く。
 
 「コレは……、何? 」

 ナース達は何のことかと惚けた顔をする。

 「これモルヒネじゃないわね……」

 一瞬ナース達の顔に浮かんだマズイという表情を、卍は見逃さなかった。

 拳を強く握り、注射針が突き刺さった左腕に渾身の力を込めると、浮き上がる血管から血液が逆流して、点滴の管の中を赤い血がみるみると登って行く。
 血液の逆流に慌てるナース達に卍が問い詰めると、モルヒネは出せない代わりに同じ効果のある新薬で、医者が進めるモルヒネの代用品のケミカルを、気付きはしないと思って注射したと自白した。

 「フッザケ! 」

 血の逆流した点滴の管を卍は握ると、突き刺さる注射針を血管から勢いよく引っこ抜く。
 針の先からは逆流した卍の鮮血が部屋中に飛び散り、天井から壁と、ナースの顔や白衣を血で赤く染めて卍は口走る。



 「私を誰だと思ってるの! 舐めてもらっちゃこまるわ、こんなケミカルの代用品で私を黙せるとでも思ったの? 」


 部屋に飛び散った血液を消毒しながら綺麗に全て拭き取ると、卍を騙した事をナース達は詫びた。そしてお詫びに本物のモルヒネを持って来ると、小粋な音を立てて点滴バッグの中へ注射した。

 紅い流星が切り裂いて行く青い透明な空の下、無限に広がる紫のお花畑を歩いている。そして何故か自分が素っ裸で歩いている事に驚く。裸でいる事に驚いたのでは無く、歩いてる事に卍は驚いていた。
 完全な幻覚の中にい居ても所々現実とはシンクロしていて、自分のビジョンが強ければ現実とのシンクロ率も高くなる。



 「幻は時として真実よりも真なり……」

 モルヒネによって無限の曼荼羅とシンクロする幻覚の宇宙の中に、今自分が居る事がハッキリと解かる。現実も幻覚も時間も空間も次元も全てが無なのも解っている。それでも私の腹には真一文字に切り裂かれた手術痕が、幻の中に居ても確りと、ケロイド状に盛り上がっている。

 自分の腹の手術痕に卍は手で触れる。花に埋め尽くされた大地を踏みしめる素足の感触を確かめながら、ゆっくりと、一歩ずつ、大地に共鳴して歩いて行く。



 「なんか歩くの久しぶり……」

 歩きながら笑みを漏らすと、お花畑の奥から綺麗な裸の女が歩いて来る。近付いてくる女の顔を見て思わず卍は口走る。



 「バビロンの聖なる女神の化身、シオン……」

 シオンは美しい裸体で愛らしく微笑み卍の前に佇むと、足元に咲き乱れる紫の野花を一輪手に取って言う。

 「コレは鳥兜の花、あの大きな月が紅く輝き始めれば、誰もがケモノになるわ……」

 「久しぶりねシオン、元気そうで良かった。私は死にそうになってズタボロになったけど。あなたは相変わらずね、どうやってここへ入って来たの? 」
 「共時性は重力と同じで普遍なもの、コツさえつかんでその気になれば、何処にでも、誰とでもシンクロできるわ……」



 「クスリね! さっき血管から僅かに体に入ったケミカルが残っていたせいね。あなた達が作ったクスリ? 製薬会社が病院で広め、24時間コンビニとかでも買えるようにしてるんでしょ。その上で相応しい刺激と副作用で幻覚を誘導する。ケミカルが溢れるこの世界では、誰もあなたの目からは逃れられないということね。けれどねシオン、あなたは自由になってもまだ、死のドラッグの中に生きてるみたいね」

 「そう、だけど私は何を言われても何をされても、あなたを殺るつもりはなかった。あなたの口の中へ葡萄を入れた時も、あなたはエデンで蛇を突っ込まれる奴隷の私を、ただ黙って見ているだけじゃなかったから……。それに、確かにクスリでシンクロすることはいつでも出来るけど、あなたの立ち昇らせるケムリ。あの自由のケムリが私を奴隷から解放してあなたにシンクロさせるの。爬虫類男が死んで私は自由になれた。だからあなたを連れて行くわ」



 シオンは卍の手を取って歩き始める。紫の野花が咲き乱れる丘の先に、白亜に輝く巨大な階段ピラミッドが聳え立つ。シオンは卍の手を引き、白く大きな石の階段を登って行く。

 階段は全部で13段あり、登り詰めた頂上には△の化粧石に彫られた、真紅に染まる大きな一つ目が、世界を見据えて輝いている。



 「存在するものはすべて光……」

 白亜に輝く13段ピラミッドの頂上で、透き通るように白くしなやかなシオンの手が、卍の身体を包み込んで耳元で言う。



 「ケモノに操られし者があなたの前に姿を現す……。だからあなたは、ケモノの前から姿を消して……」


 瞬間、点滴の針が刺さった腕に違和感を感じると、眠っていた卍は条件反射で注射針を血管から引き抜いた。

 点滴の液が針先から床に滴り落ち、卍は上半身をベッドから起き上がらせて病室を見回す。
 
 薄らと光が差し込む薄暗い病室の壁際に、眼帯をして針先が鈍く光る注射器を持った片目のナースが、卍をジッと見据えていた。



 「チッ! 」

 片目のナースは小さく舌打ちをすると、声には出さず微かに口元が動き、ナ ゼ キ ズ イ タ…… と、口が動いて見える。そしてゆっくりと落ち着いた動作で、何事も無かったように病室を出て行く。

 卍は何も言わず、暗がりに姿を消していく片目のナースの後ろ姿を黙って目で追っていた。

 マジで片目が現れるのね。確かにこれ以上長居をすれば、ここで悪魔教の血脈を注射されてキチガイか廃人にさせられるか、癌にさせられるか? それとも永遠に眠らされるのか……? いずれにせよ、確実に殺られるわね。

 車椅子に乗り、卍はデイルームにある公衆電話で D G にユタの潜伏先を聞いて荷物を纏めた。そして病院の屋上へ行き、おぼろな満月の下に広がるバビロンの夜景を見据えてJ Tジョイントを1本吸うと。荷物の中入っていた、山でマナに貰ったトライバルな木片を手に握る。
 「闇黒から光へと導く! 流れの中で闇黒に呑まれても、己を決して見失うでないぞ……」と、言った。マナの言葉を思いだす。
 もうここ病院へは戻らないと、車椅子のまま荷物を持ち、タクシーで新宿2丁目へ向かった。 



 不思議なもので、タクシーの窓から見える見飽きたはずの街のドギツイネオンの輝きが、死の淵を彷徨さまよって紅く染まった眼に映れば、自分が今生きている実感が溢れ出してきてハイになり、アドレナリンが吹き出す。

 運ちゃんにヘルプしてもらいタクシーを降りて車椅子に乗ると、バッグを膝の上に乗せ、人の波でごった返す2丁目の仲通りへ入って行く。

 魑魅魍魎ちみもうりょうが列をなす百鬼夜行ひゃっきやこうのメインストリートから一歩路地へ入ると、体育会系のマッチョ達が手を繋いで闇に潜む裏通りの、薄汚れた壁や電柱や街路灯など至る所に、ネフィリムの宣言が貼られている。
 見ればどのチラシも種は剥がされていたが、黒字に赤で安っぽくネフィリムの頭文字( N )を文字って図形化した目玉のようなステッカーも、路地には沢山貼られていた。



 壁に貼り付けられたステッカーに卍は手を伸ばして1枚剥がし取る。しばらく行った通りの外れにある、ヒジュラと書かれた小汚いスナックの前まで来ると、中から Wham!Bad Boys を熱唱するユタの歌声が聞こえる。



 車椅子から手を伸ばしてスナックのドアを開けると、安っぽいミラーボールがクルクル回る店内で、クリスマスとかで被るボール紙で出来た赤い三角帽を頭に乗せて Wham! を熱唱するユタが卍を見付け、マイク片手に手招きをする。
 店に入ろうとした卍に、一瞬息を呑むほどに綺麗な女が無言で卍に抱き付き、体に押し付けられた大きな胸の硬さから O K Mオカマと気付くも、その子が車椅子を押してカウンターの奥まで運んでくれてオシボリを手渡されても。だいぶ顔も体も変わって、前よりも華やかに綺麗なった皐月に、卍は暫く気付かなかった。



 皐月が流し目で(久しぶり)と、手話をして初めて気付き、卍は皐月の変り様に紅く染まった眼を丸くする。

 カウンターの中で、銜えタバコのオレンジにピンクのドット柄のキャミソール姿でタンバリンを叩き、ユタの歌に合いの手を入れる自衛隊特殊部隊の隊長のような濃い口ヒゲを生やしたママに、卍はレモンティーを注文した。
 歌い終わったユタが卍の隣に座ると、カウンターに有ったクラッカーを手に持ち、「退院おめでとう! 」と、クラッカーのヒモを引っ張って鳴らそうとしたが、ヒモがブチ切れ上手く音が出ない。

 「アレ? これママのスカシッぺみたいに湿気ちゃっててダメだ! 」
 「あら、私のスカシッペそんな湿気ちゃってないわよ! もっと品位があってドライよ、ドライ……! 」

 ヒゲの隊長は、「どうぞ」と、The Animals の朝日が当たる家が流れる店内で、卍に綺麗なマイセンのピンクローズのティーカップでレモンティーを出す。



 「ちゃんと退院したわけじゃなくて、勝手に出てきちゃったんです」
 「体の具合いは? 」
 「これでも治った方なんですけど、まだ車椅子だし、足は完全に麻痺したままです。針で刺しても何も感じないぐらいで……」

 (生きててよかった、心配だった。シーナも心配してた、今は仕事で踊ってる)

 皐月が走り書きのメモを卍に見せた。卍は皐月に「ありがとう」と言って笑顔を見せると、「でもまだ狙われてるみたいで……」と、ユタに言う。
 一升瓶でヒゲの隊長がマスに注いだ酒を飲むユタは、卍の肩に手を回す。



 「兄弟、山でゆっくり体を治せよ! 明日の朝、俺と一緒に行こう」

 「ハイ、私もそれを頼もうと思ってました。ありがとうございます……」

 (ちょっとまって、見せたいモノがある)

 皐月がまた走り書きのメモを卍に見せる。

 「なに?」
 (わからない? )
 「わからない、おしえて? 」
 (自分でまいたたねでしょ)

 メモ帳とペンを大きな胸の谷間に挟み込むと皐月は立ち上がり、卍の車椅子を引いて店を出て行こうとしたので、卍は慌てて路地の壁から剥がし取ったネフィリムのステッカーをユタに見せる。

 「ユタさん! コレとあのチラシの宣言は、ユタさんですよね? 」

 マス酒を手に持つユタは、黙って眉毛を上下に何度か動かした。するとまた皐月が胸の谷間から走り書きのメモを卍に渡す。


 (だいじょうぶ、私もネフィリムの一員)

 ヒジュラから卍を皐月が連れ出すと、妙にはしゃぎながら車椅子を押して人混みを上手くすり抜けながら足早に進む。
 何処へ連れて行かれるのか、卍はキツネに摘まれた感じで楽しげな皐月を車椅子から見上げる。靖国通りを渡り花園神社を抜けて、ネフィリムのチラシやステッカーが貼られた人気のない路地裏へ入って行くと、ビルの谷間の歯抜けた空き地へ、皐月は強引に車椅子を押し込んで指を差す。

 皐月が指差す先に卍が眼を凝らすと、よどんだ空に大きくぽっかりと浮かんだおぼろな満月が、空き地一面を覆い尽くす G Jガンジャりんとした若葉を、淡く水墨画のようなコントラストで際立たせていた。



 「マジで……」

 思わず卍は呟くと、足元に生える G Jガンジャの若葉に手を伸ばしてトップを摘み取り自分の鼻へ持っていき、弾けんばかりのフレッシュな香りを胸いっぱいに吸い込む。
 清々しい若葉の香りの中にも確りと濃い H Hハシシの香りがする。当然まだまだ熟成はしていないから油っけもないが、確かにコレは自分たちが蒔いた種だと納得した。

 新宿歌舞伎町の路地裏で、ビルの谷間を埋め尽くす美しい G Jガンジャの若葉は、時折発光するヘンタイやスカトロやアダルトグッズと書かれた猥雑なネオンの原色に照らされて。その淡い緑が自ら発光する夜行茸やこうだけのように、バビロンの掃き溜めの混沌を浄化し、サイケで幻想的な輝きを放っていた。

第20話 Assassin

第20話 Assassin

 
 
 山に降り注ぐ光と新鮮な空気が、時折体を激しく貫く痛みを癒してくれる。家の周りに以前は生えていなかったG Jガンジャの若葉が至る所に生い茂っていて、「勝手に幾らでも生えてくる、前は祭りの前だから全部刈り取って燃やしてた。コレが土壌の汚染を除去してくれている」と、ユタは言う。そして驚いた事は、ユズが巴の子を宿していた事と、ユズがユタの妹だった事。



 ユズが宿した巴の子が生まれれば、私たちは正真正銘ユタと兄弟となる。

初めから巴には何も知らせず、ユズは一人で子供を育てる気でいた。知らせるといっても巴は獄中だし、確かにここでなら父親が居なくても、ネフィリムの子供たちのように元気に育てていけるかも知れない。



 それに世間で言う立入禁止区域での健康被害も、山の人間は全く気にしていない。現にもう何年もここに暮らし、大人は勿論大勢いる子供たちも一人として病気になってはいないし、寧ろ健康過ぎるぐらい。

 その理由が生い茂る G Jガンジャ によるものなのか? それとも太古から伝わる療法なのか、何かE S P超感覚的知覚なシールドによるものなのか? もしくは全てが計画された陰謀なのか……? 
 マナもユタもハッキリとは言わないが、確信を持っている。私も追求する気は無いが、シオンのシンクロやダークスーツの男が言っていた事。そして紅い流星にハッキリと見えたいくつものビジョンとも、確実に繋がっている気がした。
 にしても街や市街地は確実に汚染されているし、ユズのお腹の子は私とも血の繋がった身内なのだから、厳密に理解せずとも、やはり気に止めずにはいられない。
 それに下半身麻痺の私の面倒を付きっきりで見てくれているのがお腹の大きなユズなのだから。まだ生まれぬ巴の子も一緒に、余計な心配などする前に、私を助けてくれている。



 ユズは私をお姉さんと呼び、車椅子ごと私を軽のワンボックスカーに乗せると、山を下りて海へ連れて行ってくれる。山よりも海の砂浜の方が私のリハビリに適しているというユズの判断で。

 私とユズとお腹の子と海鳥以外誰ひとりも存在しない、青くて美しい海岸の広大な砂浜で車椅子に座り、私は毛布を被って海を見詰め、J Tジョイントのケムリをくゆらせた。

 相変わらず麻痺した下半身は針で刺しても何も感じず、見事に神経が完全にイカレていて、手で足に触れても自分の体に触っている感じが全くしない。ただ G Jガンジャを吸っていれば、確実に痛みは和らぐ。やはりどんな治療薬よりも効果が有る事を、自分の体と魂で理解する。それに巴の子を身籠るユズが、私の側を片時も離れずにいてくれる事が心強かった。



 初夏になり、ケムリを吹かして力強い太陽の光に包まれれば、麻痺した下半身にも血がめぐって行く気がする。大量にケムリを吹き出して目を瞑り、波打ち際の潮騒に耳を傾ければ、久しぶりに片眼の開く音もハッキリと聞こえた。卍は海と魂が共鳴し、車椅子から転げ落ちるように砂の上へ体を投げ出す。

 軽のワンボックスから心配そうにユズが体を起こして見詰めるなか、腕の力だけで目前に美しく広がる青い海に、光り輝く渚まで砂浜を這いずって行く。

 勢いよく打ち寄せる波に顔も体も砂に塗れて、服を着たまま白波をモロに被った。初夏といってもまだ海水は驚くほど冷たく、白波が体に打ち寄せるたび、水の冷たさに紅く染まった眼を大きく見開く。麻痺した下半身は冷たい白波に浸かっても、何も感じる事はなかった。



 透き通った空に青い海が太陽の光に美しく輝く渚で、白波に浸かった全身砂まみれの卍は、波打ち際で大の字になり仰向けに寝そべると、波しぶきを受けながら照り付ける太陽の光に体がさらされ、上半身だけが燃えるように熱く血がたぎる。
 紅い眼を細めて強烈な日差しに手をかざした。金色に輝く真理の光りに触れてるようで、卍は魂が震える。
 砂浜に打ち上げられた水死体のように、渚に寝そべる卍の顔に日が陰り眼を開けると、太陽を背にした身籠るユズが立っていた。



 「お姉さん、そろそろ帰りましょ……」

 帰りに立入禁止区域の外にある大型スーパーへ立ち寄り、汚れてしまった服の代わりのスエット上下と、大量の食材を買い込む。
 お金は全て卍が払った。世話になっているのだから当然の事だし、そもそも山の G Jガンジャを捌いて得た金だ。



 「ユズはケムリは吸わないの……? 」

 買い物をしている時に、卍がユズに聞く。

 「生理の時は絶対、痛みが取れるから。あと頭痛が酷い時とかも。普段は兄さんから貰うのを食事に入れたりもしてる。クッキーに入れたりバターやジャムにしたりとか、種もオイルにしたり。だけどこの子を産む時は本気で吸いまくります。その方が上手くいくから」



 車椅子を押すユズが笑顔で言うと、卍はユタの言葉を思い出す。

 今でも俺たちは、母親が出産する時はケムリを吸い、赤子のへその緒は麻糸で切り、そして赤子を麻布で包む……

 「それって赤ちゃんも効いちゃってこの世に誕生するってことよね! 」
 「そう、ブリブリに効いちゃって、この子はこの世に転生するの」
 「巴の子は初めからブリブリに効いちゃってるのね、その後も母乳で効いちゃってるって、マジでウケるわ……。最高ね! 」



 山の家へ戻るとボロを纏ったハイブリッドの子供たちが、G Jガンジャの葉が生い茂る家の周りを走り回っている。
 子供は無邪気に時として残酷に、車椅子に乗って歩けない卍を大人たちの目を盗み後ろから棒切れで叩いたり、砂を掛けたりしてふざけてくる。元気がいい証拠だから怒る事もないが、卍は面白いものを見せてあげると言って、棒切れを持ち砂を握る子供たちを集める。極太 J Tジョイントに火をつけケムリを吹かし、子供たちの目の前でスエットパンツを捲り上げ、ケムリの糸を立ち昇らせる J Tジョイントの真っ赤に燻る火の先を、自分の麻痺した足の太股のところにジュッと音を立てて押し付ける。



 子供たちは静まり返って釘付けになり、まるで自分が痛そうに顔を顰めて息を飲む。そして卍は頃合をみると、眼を見開いて大声で叫んだ。

 「ギャーッ……!!! 」

 卍は物凄く痛そうに大きな叫び声を上げ、車椅子から体を飛び上がらせる。子供たちは凍り付いた体が砕け散ったように本気で驚き、奇声を上げて蜘蛛の子を散らすように一目散に逃げていった。その後子供たちのイタズラは無くなったが、その中で一人、褐色の肌にアフロへヤーの青い瞳の女の子ゾーイだけは微動だにせず、口元に微かに笑みを浮かべて卍を見詰めていた。

 「まるで心が読めるみたいねゾーイは、あなたがネフィリム……? 」



 ある日の夕暮れに、山の男衆が皆集まってシロを仕留めたと、紅い日に照らされ地べたに息絶えた、神々しい白鹿が横たわっていた。
 マナが紫の野花を白鹿の上に散らして湧水で清め、土着な供養を済ます。いつか前に見たことのある蓑笠の男が、ナイフで白鹿の腹を裂き、まだ温かい血塗れの肝臓を取り出すと、手早く血を拭き取ってスライスした生の肝臓を卍に食べさせた。これが究極の万能薬だと、言わんばかりに……。

 確かに、白鹿の肝臓を食べた卍は、すぐに体が猛烈に熱くなり、鼓動が早まると激しく血が滾《たぎ》る感じを得た。

 「これが巴が見たと言っていた白鹿……? 」



 その日は外で薪に火が焚かれ、白鹿を捌いて焼き皆で食べ、土着な宴がはられた。卍は久しぶりに一升ビンを抱えた仙人の先生と会い、相変わらず味のある風貌に卍は思わず笑みを浮かべる。

 「こんばんは、すっかりお世話になってます。久し振りですね、どちらか行ってらしたんですか? 」
 「うん、ずっと新宿の中央公園で寝泊りしてたよ」
 「えっ、それじゃーホームレスじゃないですか? 」

 卍は笑みを浮かべてそう言ってから、自分がホームレスと思わず言った言葉にハッとして我に返り、初めて点と線がハッキリと繋がった。
 ユタはダークスーツの男を殺ったのは、金を払ったホームレスだと冗談ぽく言っていた。それと皐月が前からユタと繋がっていた事も。卍は(私もネフィリムの一員)とメモに書いた惚けたビッチの皐月に、一杯食わされた感が歪めなかったが、それはともかく。ネフィリムの宣言と G Jガンジャの種を新宿中に散蒔ばらまいのもホームレス……。それは仙人が新宿にいた時期と合致している。



 仙人はそれ以上何も言わず、ケムリを吹かして奥さんと子供たちと一緒に白鹿の肉を喰らい、酒を呷《あお》っていた。

 日が暮れて紅く染まった空に立ち昇る火柱の炎で、卍は J Tジョイントに火を灯しケムリを吐き出す。
 新宿には数え切れないほどホームレスがいて、仙人が直接ダークスーツの男を殺ったのかは知れないが。ネフィリムの宣言といい散蒔ばらまかれた G Jガンジャの種といい。ユタ同様、仙人も全てに関わっている事は間違いなく、仙人が本物のAssassinアサシンだと、立ち昇る火柱の炎を見詰めて悟る。



 車椅子に座りケムリを吹かす卍は、生贄いけにえの如く切り取られ、おごそかに祭られた白鹿の生首が炎に照らされて浮かび上がると、確かに巴の言っていたように目を閉じた女の顔に見えてきた。そしてケムリの中に浮かぶ女の生首を見詰めていると、閉じていた生首の目がゆっくりと開き、黒々とした大きな瞳が卍を見据える。すると女の顔したケモノの生首がハッキリと、「私はツヅラ……」と名乗り、卍の脳裏に刻まれたビジョンが、次々と鮮明にフラッシュして見え始める。



 新宿の路上に止められた黒塗りのベンツの中へ、赤く血に染まった手榴弾を投げ込んだ仙人の後ろ姿。駅のホームから私を突き落とした、眼帯をした片目の女。バビロンを見下ろし△から覗くシオンの片目。鉄格子の中で片眼を押さえて座禅を組む巴の姿。夜空を切り裂く紅い流星。別次元で自分の足で立ち、笑顔を見せるもう一人の私。巴が机にコンパスで彫っていた図形と紋章。巴の子を胸に抱くユズ。新宿の空き地を埋め尽くす、大きな B Dバッズを実らせた G Jガンジャ。製薬会社が大量生産し続けるケミカルの山。薄汚れた路地裏に貼られたネフィリムのステッカー。炎を立ち昇らせて呪文を唱えるマナ。ロスチャイルドのワインと紋章。指にはめた髑髏ドクロの指輪の笑い声。紅く目を光らせるふくろう。巴がゲロを吐く姿。陽炎かげろうの中に佇むユタ。燃え上がる黒塗りのベンツ。紫の野花に埋め尽くされた丘。銀色のリトルグレイ。語り掛けるシオン。種が2つに割れて芽を出す G Jガンジャの双葉。撒き散らされた放射能。幼い私と手をつなぐ蒸発した父親。褐色の肌にアフロへヤーで青い瞳のゾーイ。They Live・We Sleep彼らは生き、我々は眠ると書かれたカゴメのカウンターに立つ D G 。ネフィリムの子供たち。皐月。M Mキノコ。ピラミッド。シーナ。立ち昇るケムリ。ドレッド。蛇の目。東京タワー。K K公安警察。羽ばたく蝶。巴の笑顔。モルヒネ。アジアのビーチ。傀儡くぐつの政治家。ビンタン。ミカド。ケモノの遠吠え。神と悪魔の計画。崩れ去るバビロン。そして最後に蒸発した父親が海辺に立っている……。




 次の日の明け方、朝日を見せるわと、ユズがまだ暗いうちから卍を海に連れて行った。
  G Jガンジャのケムリをくゆらす卍は、朝霧に煙る渚で車椅子に座り、太陽が昇り始めた水平線へ大量のケムリを吐き出す。まだ薄暗く星々が覆い尽くす透き通った空へ、ケムリが立ち昇って行くのを見詰めていると。突然空一面が色鮮やかに発光し、超高速で頭上を走り抜ける紅い流星が、輝き始めた水平線へ消えていくのがハッキリと見えた。
 すると確かに前にも感じた事のある、シオンの目を見た時と同じ、体に電気が走るような感覚。シオンの目がハッキリと鮮明に脳裏に浮ぶ。「大丈夫……」と、ささやくシオンの声と、片眼が開く音が同時にハッキリと聞こえ、今も完全に麻痺した足の爪先まで、ドクンと強くしびれて、電流のように血液が流れるのを感じた。



  J Tジョイントを口に銜えて車椅子から砂浜へ卍は体を投げ出す。朝日が昇り始めて白波が立つ波打ち際まで這いずって行き、上半身を起こして太陽を見詰めた。砂浜に座るような体勢をとり、波が地鳴りのように音を轟かせて打ち寄せ、白波が勢いよく卍の麻痺した下半身を飲み込む。すると、自分でも思いがけない言葉を口にして卍は驚く。

 「冷た……」
 
 白波は J Tジョイントを銜えた卍の、まったく何も感じない麻痺した下半身にだけかかっていた。
 波が引くと、卍は慌てて自分の足を手で探る。眼を閉じて神経を集中させ、また波が音を轟かせて麻痺した下半身を飲み込むと、両足の太股の内側に微かに冷たい波の感触を感じた。


 波がさざ波を立てて引いて行く。 J Tジョイントのケムリを立ち昇らせ、卍は寄せては引いて行く白波を何度も体に受ける。するとまたシオンが語りかけてきた。卍は紅く空に昇りゆく太陽を見詰め、光に包まれて肩を震わせ笑い始める。



 「シオンね、声がハッキリと聞こえる……。やっと、やっともどり始めたわ……」