第7話 Tutankharmun ( King Tut )
第7話 Tutankharmun ( King Tut )
外は一面真っ白な霧に覆われていて、静寂に包また山の頂きからゆっくりと雲海が流れ込んでいる。
雲の中を手探りで進む巴は1本の大木を見付けて用を足した。
帰ろうとすると、雲の中に白い四本足のケモノが霞んで見えた。ケモノは白い息を吐き出すと、鼻先を巴の顔へ近ずける。
大きな黒眼が巴を吸い込むように見詰め、息が掛かるほどの距離に巴は動けずにいた。
後ろを振り向けば美しい着物に身を包んだ幼い少女が、両手いっぱい溢れるほどに、
その紫の花は
象牙のように美しく滑らかな白いケモノの身体が、一瞬紫に散りばめられた花の上に赤く鮮やかな鮮血を口から噴き出して、大きな黒目が見開いたケモノの体が紫の花の上に横たわる姿が脳裏をかすめる。ケモノから目を逸らして少女を見ると、少女は巴に優しく微笑みかけ、ケモノと一緒に雲の中へと姿を消す。
雲の中を手探りで家の中へ戻ると、薄暗い居間の布団の中へと潜り込み、巴は目を瞑るとすぐに深い眠りに落ちた。
凛《りん》とした着物姿のワッカが朝食をはこんで来た。
布団を終いに2階へ上がると、二人は寝る前に2階の風通しのいい場所へ細いロープを張って吊るした
綺麗に均等に、枝付き枝豆のように吊るされて陰干しされた
二人は
囲炉裏の横に置かれた卓袱台の上には、雑穀米のご飯に芋の味噌汁と謎の刺身が並んでいる。
朝から刺身とは豪勢なものだと、二人はワッカに「頂きます」と言って箸をつけた。味噌汁やご飯の旨さもさる事ながら、半透明の白身がさいの目にカットされた謎の刺身が絶品で、見た目はイカのようにも見えたが、ワサビ醤油で食べると食感は硬めのアロエかナタデココのようだ。そのくせ味はトロのようにコクがあり濃厚だ。
「この刺身旨いね、何て魚? 」
樹皮と薬草を煮出した大量の真黒い液体の入った薬缶をまた持って来たワッカに巴が尋ねると、「カスベ」と、ワッカは答えた。聞いた事もない魚の名に、二人は顔を見合わせ首を傾げる。
食事を済ませると、ワッカは湯呑に並々と例の真っ黒い液体を注ぎ、「木肌を飲め! 」と、巴に迫る。
朝から旨い飯を食わせてもらった負い目から、仕方なく苦笑いを浮かべて巴は木肌を何杯か飲むと、今度は洗濯するから服を脱いで出せ、居間も掃除するから風呂へ入れと急かされた。
お言葉に甘えて泥だらけに汚れた洗濯物を二人は恐縮しながらワッカに渡し、そそくさと風呂場へ向かった。卍が先に風呂へ入り、巴はパンツ一丁で脱衣所で待つ。
眩しく降り注ぐ日の光に照らされてしっかりと色付く山の木々を、脱衣所の窓から眺める巴は、これはちょっとした
「俺マジで初めは飯食わしてくれるっていっても、山羊の頭の姿煮スープとか出てくっかと思ってたよ……」
「山羊の頭のスープって、ターキッシュじゃないんだから! さっきの魚美味しかったわね、魚の名前何ていったっけ……? 」
卍は湯船に浸かって巴に聞く。
「忘れた……」
森に差し込む太陽の光の中に、子供たちの賑やかなはしゃぎ声が聞こえ、卍は立ち上がって外をのぞく。
「あの青い瞳をした子や、褐色の肌をした子はいったい……? それにマナが言った役所の爆破と背中に残る拷問の傷跡。そして巨大な
窓に肘を付き、卍は外を裸足で駆け回る子供たちを見詰めて独り言のように呟き、突然「アーッ! 」と、大声を上げた。
「見て、バイクが大変! 」
卍の声に巴は驚き、窓から外に止めてあるバイクを探して見ると、2台のバイクがこれでもかというほど泥だらけに汚されていた。
丁度風呂の窓のすぐ下では、薪が沢山積み上げられた横で子供たちが5・6人しゃがんで外方を向いてダベッている。明らかに窓の下にタムロうガキどもの仕業なのは明白だった。
「お前ら、バイク汚したろ……」
下で外方を向いてる子供たちに卍が言った。
「知らねーよ! 」
子供たちは卍と目を合わさずに、外方を向いたまま大人びた口調で惚けて言う。
「ざけんなよガキども……」
プチ切れした卍は湯船の湯を風呂桶ですくうと、窓の下にいる子供たちの頭上へお湯をブチまけた。
子供たちは奇声をあげて蜘蛛の子を散らすように逃げ出したが、わざとふざけた態度を取って卍をからかう。卍も子供相手にムキになり、バカみたく湯船のお湯を外へとブチまける。
巴は隣の窓から身を乗り出し、いいじゃねーかよモトクロスなんだからと汚されたバイクをよく見ると、卍のバイクのシートに木の枝が突き刺さっていて、思わず巴は大きく口を開ける。そこへユタが軽トラで山を登って来て、運転席の窓から顔をのぞかせて言った。
「何か楽しくやってるねー 」
卍の後に風呂に入った巴は騒ぎを嗅ぎつけたワッカに、「お風呂のお湯を無駄にしないで! 」と、巴は自分がやった事ではないのに叱責される。確かに湧水を薪で焚いた風呂の湯は貴重なのも解るが、どうもワッカは卍には優しくて巴には遠慮がなく当たりがキツイ。あからさまな性差別に矛盾を感じるも、奴もやっぱりレインボーなのかと変に納得がした。
バケツの水でバイクの汚れを洗い落とし、卍はモロにシートに突き刺さった木の枝を、消沈して溜め息を漏らし引き抜いた。
車が何台か山を登って来る。きのうは見掛けなかった人達が大勢集まり、平屋の方は人の出入りが激しくなった。卍はいつもの調子で愛想よく挨拶を交わしていると、ユタが、「チョット来なよ」と、風呂上がりの巴と一緒に二人を裏山の方へ案内した。
「君たちは何、アレを見つけたのか、河原で……? 」
「はい、河原のところで1本」
「1本だけだ、ふーん。どうだった? もう試してみた? 」
「俺がケムリにまだできないから、フライにして二人で食べました」
「フライにしたんだ。で、食ってみてどうだった……? 」
「マジでヤバかったッス、紅い流星に引き込まれてバーンて感じで、超ブッ飛ばされて、一瞬自我までフッ飛ばされて、全く違う次元に暫く浮かんでました! 」
「紅い流星って、きのうの夜出た流星群か? じゃーちなみに何か見えた? 何かイメージみたいなものでも? 」
卍と巴は目を合わせると、巴は思わず噴出して、卍がユタに言う。
「見えました、ハッキリと鮮明に。でも何の脈絡もない絵みたいで写真みたいな画像が沢山フラッシュするように見えて、いったい何の映像なのか? 未だに良く解らないままですけど」
「そうか、見えたか……。じゃーそれは多分俺たちのネタだよ」
「そうなんですか、それじゃ何なんですかあれは? やはり放射能が影響しているとか? 」
卍はユタにそう聞くと、二人はまったく気付いていなかったが、二軒建ってる家の裏山に、山の峯にそって連なる
卍と巴は本気で驚き、まるで石器時代の集落へタイムスリップしたような光景に、呆然と立ち尽くす。
「これは……、無形民俗文化財ですよねー? 」
「いや、遺跡を復元したんでしょ? 」
「発掘したのか……? 」
「発掘した石器時代の集落の遺跡を、復元したんでしょ? 」
「じゃーこれは矢張り、重要文化財に違いない……? 」
なぜこんな物がここに存在しているのか意味が解らず。勝手に想像で決め付ける二人にユタは微笑み、住居の合間によく手入れされた畑に生える青菜を一本引き抜き二人に見せた。
「コレ、きのうバター焼きにして食べたやつ」
「あっ、コレきこうの! マジで超旨かった! 」
「ここで野菜を全部自家栽培してるんですね、凄い……」
竪穴式住居のコケむす茅葺き屋根に、ユタはそっと手で触れて言う。
「別に凄くも何ともないよ、これはいわゆる普通の生活ってやつで、昔から今でも人が生活してるんだから、ただの住宅だよ」
確かによく見ると茅葺き屋根の上からは、薄らと煙が上がっていて、人の気配を感じた。
「入って見るか? 」
「はい、是非! 」
竪穴式住居というのは、大地の上に屋根が乗っかっていて、中へ入るには地下へ潜る形となる。住居の入口でユタが中に声をかけると、ボロをまとった裸足の男の子が勢い良く飛び出して来た。
「出た! 」と、卍は思わず呟く。卍のバイクに木の枝を突き刺したのがその子で、すっかり卍に懐いてしまい、確りと卍の足にしがみ付く。
「おい、父ちゃん母ちゃんは? 」とユタが聞くと、「中に居る」と、男の子は答えた。
卍はしがみつく男の子の首をふざけてくすぐり、「お前ここに住んでんのかー? 」と聞いた。男の子は、「ひゃっひゃひゃひゃぁ~」と体をくねらせて笑いながら頷く。
頭をかがめてユタが中へ入って行ったので、卍と巴も後に続く。
住居の中は想像以上に広くて涼しかった。中央には炉があって微かに煙が燻っている。奥には
炉の横にはここの住民で人の良さそうな夫婦が、イ草の敷かれた座布団の上に座っていた。自分たち部外者を受け入れてくれた夫婦に二人は丁重に挨拶をすると、着物を肌脱ぎした奥さんは、乳飲み子に乳をあげている。夫の方は想像どうり仙人ような風貌で、ユタと同じ作業服を着ていた。
茅葺き屋根の内側は木と竹が縄で綺麗に編み込まれていて、芸術的な美しさだ。床も壁も当然土だが、土壁の壁面は色鮮やかな幾何学模様の刺しゅうが施された綺麗な布で覆われている。
部屋には窓というものはなく、唯一天井に煙を逃がす排煙口の穴が有るだけなので、部屋の中は薄暗い。もちろん電気などは通っていない石器時代の暮らしぶりで、たまに夜使うというススで黒く汚れたランプが天井の柱に吊るされてある、その横には沢山の動物の肉や魚が煙で燻されている。
現代にもまだこんな生活が実際に存在している事に驚きを隠せずにいた二人だが、ここならいくら立入禁止区域とされて電気など全てのライフラインを止められようが、水も有れば火も有れば食料も有り、人間の生活に必要なもの全てが揃っている。そもそも電気に頼った生活をしていないのだから何の問題もない。
それにもし、この世がなんらかの形で滅びるとしても、崩れ去るバビロンでは生き延びる事が出来ぬとも、ここでなら生き延びる事も出来るかも知れない……。いや多分、間違いなく確実に、生き延びる事が出来る。文明と国家やテクノロジーのシステムから管理されずに完全に独立した自給自足のサイクルが確率してるし、地震が起きて空から電磁波や毒が撒かれても、
この空間は曼荼羅的なタイムカプセルのようで、太古から現代へ人間が一つの生命体として繋がり、災いが降りかかる世界を生き延びる為の究極的なシェルターとして機能してきた証のように、二人の目にはハッキリと映っていた。
住居を出たところでユタが言う。
「明日祭りがある、よかったら二人とも祭りに出てみないか? 」
「いいっスネー 」と、巴はすぐに返事をしたが、卍は黙って返事をしぶった。ユタはすぐに察して言った。
「心配するなよ、例の場所へは祭りが終わり次第すぐに案内する。それに、アレが生えている場所は俺たちの聖地なんでね、君らが足を踏み入れるにも、祭りに出てもらうほうが道理が通る」
「立入禁止区域で祭りだなんてウケるな!
「取り敢えず俺が持ってるのもあげるよ、車の荷台に置きっぱなしだけど。自分たちが取ってきたのもあんだろ? それはどうした? 」
「いま、2階の奥の部屋で乾かしてます」
「それはマズイな、いつやったの? 」
「きのうの夜です、寝る前に……」
「多分マナの婆あは感づいてるぞ、きょうは祭りで人が集まってるし、あの婆あは何でも見通すからな」
古民家の方へ戻ると、案の定ワッカが腕を組み怪訝な顔をして突っ立っている。ユタを見付けると急いで駆け寄りなにやら耳打ちをした。
「なっ、もうバレてる、すぐに場所を移さないとダメだ。しょうがないから俺の車で行こう、早く行って全部持って来な! 」
ユタに促されるまま二人は急いで古民家の2階へ上がり、干した
軽トラは山を下っていったん国道へ出ると、暫く走って細い林道へ入って行く。エンジンが悲鳴を上げて山の坂道を登って止まると、森の中に大きなコンテナが有り、ユタは車を降りてコンテナに掛かる大きな南京錠を外して扉を開けた。
「この中で乾かしな! 」
荷台から飛び降りて卍と巴はコンテナの中を覗いた。なにげに荷物が散乱しているが、コンテナの中はとても広く、ちゃんと換気用のファンも付いていて空気も循環している。二人は顔を見合わすと、親指を立ててユタに言った。
「完璧です! 」
早速手分けしてコンテナの天井部にロープを通すと、二人は綺麗に丁寧に均等に、
ユタから貰った荷台でヘタッタ巨大な
それでもヘタッてしまったどうしょうもない小振りの
「何スカ、コノ穴? 」
「あぁ、その穴、クマだよ、クマが掘った」
「クマ! 」
巴は声を裏返して、恐々と大きな穴を覗き込んだ。よく見ると、コンテナの下の所にはクマの毛がビッシリとコベリ付いていて、巴はギョッとして目を見開く。
「ちょっと前にここでBBQしてたらドでかいクマが現れて、ヤバイからコンテナの中へ非難したら、クマの野郎コンテナの下へ潜り込みやがって、俺もあんときゃ焦ったわ!」
辺りを警戒するように森を見回して巴が言う。
「ちょっと前って、ヤベーんじゃねーかここ……」
山を伝って降りてくる澄んで乾いた秋風が、コンテナの下にビッシリと張り付いたクマの毛を小刻みに揺らしている。
「ユタさん、何であの山の家には瞳の青い子や褐色の肌の子が居るんですか? 」
卍は唐突にユタに聞いた。
「青い瞳や褐色の肌は、親の遺伝だな……」
「何処の国の? 白人と黒人ですよね? 」
「まぁ色々あるけど、主にダッチかな」
「その主にダッチの親は何処に居るんですか? 」
「国に帰っちゃったんじゃない」
「子供置いて帰っちゃったんですか? 」
「そーゆー事になるかな……」
「そんなもんなんですか? 」
「そんなもんなんじゃない……」
話を聞いていた巴は呆気に取られて両手を広げ、卍は一瞬自分の蒸発した父親とリンクして、うつむき加減に考え込んだ。ユタは笑顔を浮かべ、二人が
「あの子達の親は大震災が起こる前の年、丁度祭りの数日前に君たちと同じモノを探してここへ現れた。しかし君達とは少し違い、彼らはこの種の方にもっとも興味を表していた」
そう言ってユタは手の平を開くと、黒々とした小さな1粒の
「彼らは世界中でこの種を集める使命を持って、遥々この地へやって来た。私が彼らに、世界中を旅してまで何故この種が必要なのかと問うと、それは神の計画だからだとハッキリと言った。マナは彼らを受け入れ、彼らの持つ情報と知識に共鳴して決断した。そして我々の一部と化した。いや、我々が彼らの一部と化したのかもしれない。あの子ども達は先に思う者の落し子、ネフィリムだ。これまでにも数多の時の流れの中、その時代その時代の長い年月の中で、場所や姿形を変えながら現れ繰り返されてきた事。教えられる歴史にはのらず、一部の者が持つ情報と伝えられる知識、そして隠されるように散りばめられた確かな痕跡とサインで、気付き到達するものがある。そこへ至るには3つの段階が有り、これはその第1段階だという。まずはその次元に気付くことなのかもしれない。厳密に言うと彼らは突然姿を消した。国に帰ったのだというのは飽くまでも我々の憶測に過ぎない。そしてあの子らが生まれ、大震災が起き、我々の聖地にも放射能の雨が降り注いだ。この事が何を意味するのかは、いずれ解かる時が来る。立入禁止区域とされ人々が去ろうとも、この国の禁じるこのモノとは、有史以前からの長い付き合いだ。生活の中に普通に有って共に生きて来た。過去に人は知識を有していたが、今や完全に封印されている。今でも俺たちは出産の時は母親がケムリを吸い、赤子のへその緒は麻糸で切り、そして赤子は麻布で包む。いみじくもこの国が悪だとして禁じるモノに、この世に生まれて始めて触れる。人がこの世に生まれて始めて触れるモノは、過去から現代においてもこの世でもっとも神聖な力を持つモノでなくてはならない。そしてやはり目を見張るべきものは、コレのずば抜けた浄化作用と、薬としての効果だろう。他にもただ有るが、婆あが普段誰にも見せない背中の傷を二人に見せただろ、これで生き延びられたという証を。さすれば何故国がこれを法で禁じているか、自ずと見当は付く。どこにでも生えてしまう雑草で汚染が浄化され、体が治ってしまったりしては、都合の悪い奴らが居る。奴らがこの国で人々から吸い取った天文学的な数字の金を、湯水のように注ぎ込んで築き上げ続けているシステムが、いとも簡単に崩れ去ってしまう。コノ種が芽吹き、そして人々が取り込めば、放射能も電磁波もケミカルも然り、奴らの無意識へのコントロールや洗脳が全く効かなくなっちまうとすれば、
ユタの話に卍と巴はその都度何度も小さく頷き、そして思わず呟く。
「第1段階……」
「神の計画……」
第8話 Chiquita Banana
第8話 Chiquita Banana
天高く立ち昇る火柱のまわりを唄を歌って踊りながら、円をえがいて回っていた。
ケムリをくゆらせながら眼を真紅に染め、現実と幻の境を舞う少女たちの土着な唄と踊りに引き込まれると、卍と巴はうねりをあげて立ち昇る炎を見詰め、完全なる第三空間へブッ飛ばされている……。
ユタに呼ばれて平屋の家の中へ入ると、ランプが置かれた広間に綺麗に生けられた、美しく儚げな紫の花を巴は見て眼を見開く。
朝霧に紫の花と消えた少女と白いケモノが鮮かに脳裏に浮かび、あれは夢ではなく現実だったのかと眼を疑う。
家の中には年配の人達に混じって、電力不足でぼんやりとした電球の明りの中で忙しそうに動き回っている、同じ年ぐらいの若い女が何人か居た。
卍と巴は幾つもランプが置かれ、盛大に料理が並べられた折りたたみの長机の奥へ詰めて座ると、「食べろ、食べろ! 」と、二人の紅い眼を見てニヤ付くユタが言う。
向かいには裏の竪穴式住居にお住まいの作業服を着た仙人と、そのご家族が居て、二人が挨拶を交わす。
長髪で立派なヒゲを蓄えて、
「先生いいよ、こっちに酒いっぱい有るから」
ユタは一升瓶を2本抱えて持って来ると仙人に言った。
仙人がなんで先生と呼ばれるのか二人は気になったが、ユタの掛け声で乾杯をする。
紅い眼をしたマンチな二人は、ランプの揺らぐ明かりに豪勢に並んだ肉や魚を手当たり次第に頬張った。
次々と年配の人が入って来てあっという間に広間は埋まり、とてもここが山奥の立入禁止区域とは思えぬように、賑やかで盛大な祭りの前夜祭が始まった。
「えーっ! 本当ですか? 」
仙人と話をしていた卍が急に大きな声を上げたので、驚いた巴がどうしたと卍に聞くと。卍が仙人に、「ずっとあそこに住んで居るんですか? 」と、聞いたら、「生まれは新宿の十二社だ」と、仙人が答えたので、紅い眼をした卍は驚いて声を上げた。聞いた巴もマジかと驚き、紅い眼を見開き唖然とする。
卍は生まれは海外だが、母親が亡くなり日本へ来ると、蒸発した父の家に来るまでは、中野の弥生町の祖母の家で暮らしていたので、子供の頃の遊び場だった新宿中央公園の有る西新宿の十二社は目と鼻の先。巴は渋谷の本町だが、山手通りを挟んで殆ど同じ地元……。
まさかコレほどの僻地の山中で、家族と竪穴式住居に暮らす仙人と自分たちがピンポイントで同郷だとは、これは衝撃の共時性ってやつで、ガチなシンクロニシティー……。
ここへは10年ぐらい前にたどり着き、妻を
先生と呼ばれる理由は分かった。だが、二人は何故同じ地元の人間がこの生活を選んだのか? 世界各地のバビロンを知り得る仙人の意見が聞きたくて、ユタをふくめて4人で酒を酌み交わし、崩れ去るバビロンについて語り尽くす。
宴会を取り仕切って忙しそうに食事や飲み物を配っているエプロン姿の若い女を横目に、巴は卍に肘打ちをすると肉を片手に小声で言う。
「なー、今この鹿肉の燻製持ってきてくれた子、マジカワイイ! 」
卍は大きなしし肉の骨で、広間の奥を差して言う。
「私はさっきからあの黒いエプロンして髪を結いてる子、あの子ね! 」
「分かる、あの白いシャツに黒いエプロンの子ね、カワイイよな! 」
小声で二人が話をしていると、マナがワッカに手を引かれて奥の部屋から現れた。訪ねて来た人たちとマナは言葉を交わしながら二人のところまでやって来る。
「明日は出るんじゃな……」
「はい、出させて頂きます」
「そーか、そーか、頼みますよ! 」
微笑みながらマナは手短に言葉を交わすと、広間の入口の方へと戻って行き、側にワッカを従え椅子へ座った。
外の火柱を回りながら歌って踊っていた少女たちが勢い良く部屋の中へ入って来ると、広間の中央に輪になって集まり、また一斉に唄を歌いだして踊り始める。
少女たちを囲むように座る大人たちも皆手拍子を打って一緒に歌いだし、すぐにシンクロして一体化し、一つの魂と繋がってゆく。
少女たちの唄う歌と声の波動に卍と巴もシンクロすると、究極的に冴え渡る意識の中で、始めて耳にするスラング過ぎて言葉の解らぬその唄も、なぜか鮮明にビジョンが浮かんで理解できる。
ランプの明かりに揺らぎながら漂う音の波長の中に、卍と巴は魂を震わせ、片眼の開く音を聞く。
少女の中の一人が、カゴの中の紫の花びらを床へと溢れ落とし、少女たちが舞う足元に美しく儚げな鳥兜の花びらが散らばる。
無意識に紅く染まった片眼を手の平で押さえ、巴は少女たちの足元に散る紫の花びらを見据えた。
卍も少女たちが唄う歌が、自分の無意識を埋めるパズルだと理解して、覚醒していく。
紅く染まる片眼を手の平で押えた巴を、部屋の奥から伺うように真剣な眼差しで見詰める、一人の若い女が居る。そして巴を見詰める若い女を、マナが鋭く見据えていた。
翌朝日の出とともにワッカに起こされた。二人は布団から起き上がると、灰皿に見立てた大きなイノシシの骨の上から、
布団を2階へ終って洗面を済ますと、きのう寝る前に
ワッカが綺麗な着物を二組み畳に揃えて置くと、上目使いで二人を見上げて言う。
「これに着替えて……! 」
卍と巴は呆然と立ち尽くし、まだ寝惚けた互の顔を見合わせて首を傾げていると、「おはよう! 」と、ユタが元気に部屋に入って来て、ぼーと突っ立っている二人に言った。
「何やってんの、早く着替えて! 朝飯前に行っちゃうから! 」
祭りの事などすっかり忘れていた二人は、とにかくユタとワッカに急かされるまま着物の袖に手を通す。
「イイよー、似合うよー、女っぷりが上がったねー。そっちも男前だ、二人とも格好良いなー」
着物を羽織った卍と巴をユタがニヤ付きながら煽てると、満更でもない顔して二人は帯に手を当てポーズを取る。
ユタは親指を立てて大きく頷き、ワッカは呆れた顔して外方を向いた。
出された草履に履き替えた二人は、着物姿で軽トラの荷台に飛び乗り、卍は胸元に潜ませた
白いケムリが澄み切った朝焼けの空へ揺らぎながら昇って行くと、ユタは軽トラを発進させた。
激しく揺れる荷台で
荷台の会話はユタにまる聞こえで、笑みを浮かべるユタが急な斜面を登って行くと、濃い霧が辺りを覆い始める。巨木がうっそうと生い茂る山中の細い山道が、濃い霧の中へと伸びて行く手前で、ユタは軽トラを止めた。
静寂と霧に包まれ静まり返った山中に、微かに滝の落ちる水音が響いていて、濃い霧がひんやりと二人の肌に纏わり付く。
荷台から二人が飛び降りると、同じ着物を纏う爺さんが霧の中からいきなり現れて、二人は会釈をした。
しかしなぜか霧の中から現れた爺さんは、血走った目付きで二人を睨み付け、突然大声で怒鳴り散らす。
「なんじゃーお前らー! なにしにここへ来た! 婆あがまたふざけた事やってんな! わしは絶対に認めんぞ! 今度は地震や毒だけじゃ済まんぞ! 」
物凄い剣幕で二人に詰め寄る爺さんに、卍と巴は訳が解らず呆然とドン引きする。ユタが慌てて割って入り爺さんを宥め、水音が響く濃い霧に包まれた細い山道の先へと連れて行った。
「ビックリしたー、なんなんだ? うちらなんかしたか……? 」
「今度は地震や毒だけじゃ済まんぞって言ってたけど、やっぱり狙われてるのかしら? 」
「地震の次は何をお見舞いいたしましょうか……。て、やつか……?」
「それ、B-29から撒かれたビラ。マジでヤられ過ぎでウケるわ……」
紅い眼を見合わせて二人が話をしていると、すぐにユタは戻って来た。
「ハハハハッ、まぁ気にしないでくれ、どこにでも居るだろ、あーゆー爺さんて、だから何も問題ないから気にしなくてОK! で、もう始まってるから急ごう。階段滑るから足元気を付けてね! 」
ユタは二人を急かし、濃い霧に覆われた細い山道の先へ足早に案内する。そこには山の頂上へと霧に包まれ切り立った崖を登って行く、かなり勾配の急な石階段が目前に聳そびえ立っていた。
二人はマジかと思いながら、ユタの後に付いて急な石階段を登った。霧で視界の悪い苔の蒸した石の階段は濡れていてとても滑りやすく、一歩間違えば霧に包まれた奈落の底へ転落してお陀仏なロケーションで、二人は何度か足が滑って地面に手を付き冷や汗をかく。
「さっきの爺さんよくこんなとこ登ったな! 」
息を切らし、巴が苦笑いを浮かべて呟く。
滝が落ちて行く強い波動を全身に感じると、石階段を登りきっていた。
濃い霧で視界は悪いが、山の頂上付近の切り立った崖から谷底へ落ちる滝が
瞬間透き通って抜けるような青空が見えると、妖艶に色付く山々を見下ろす
霧の中に赤い炎が焚かれている。炎を囲むように同じ着物に身を包んだ長老か仙人の面持ちの爺さんや婆さんが10人ほど、色鮮やかで曼荼羅のような刺しゅうが施された大きな布を地べたの上へしき、コの字の長方形で真ん中に焚かれる炎を囲んで座っていた。そして炎の正面にはマナが
紅い眼をした卍と巴はユタに空いてる所へ座らされると、トライバルな模様が描かれた鉢巻のような麻布を渡され、それを頭に巻いた。
「わしらと同じ事をすれば良い。真似してな、同じように……」
二人にマナはそう囁《ささ》やく。
頭を大きく下げてユタは一礼すると、石階段を一人で下りていった。
「帰るんかよ! 」と、巴が言うと、丁度コの字の反対側の正面には、さっき下でいきなり二人を怒鳴り散らした爺さんが、苦虫を噛み潰したような顔して睨み付けている。
何をすればいいのか分からぬまま、向かいで睨み付ける爺さんを二人はやり過ごしていると。マナが火に油を注ぎ、炎の火柱を空高く立ち昇らせた。
濃い霧に炎の灯りが赤やオレンジ、緑や紫と発光して、揺らぎながら反射する。そこに4次元の扉が頭上に開かれたようで、一切世界ことごとく幻の如く。卍と巴は己を解き放つ。色鮮やかに発光する霧の中で、片眼の開く音に耳を澄ませる。
マナは意味の解らぬ言葉を唱え、炎を囲んで座る爺さんや婆さんたちも口々にマナと同じ言葉を唱え始める。
一様にその呪文のような言葉を卍と巴も真似して唱えてみると、途切れ途切れにいくつかのワードが、きのう少女たちが歌っていた唄とリンクした。
無意識のパズルを探るように、色鮮やかに赤く揺らぐ霧に包まれた呪文のプリズムに、二人は吸い込まれるようにトランス状態へ入ってゆく。
眼の前に
皆がそれをいっきに飲み干したのを見て、卍と巴も杯に注がれた液体を飲み干すと、甘酸っぱさと青臭さが鼻に抜けた。そして樹皮を剥がした10センチ程のトライバルな模様が彫られた木片を渡される。
二人が渡された木片は同じものではなく、「それぞれに別の光が宿っている。早く懐ろへ終え! そして飲み干した杯を割れ! 」と、隣に座る爺さんに言われる。卍と巴は言われた通り木片を懐ろに終い、杯を手で割った。
素焼きの杯はとても
「
卍と巴はハッとして同時に眼を見開く。霧に霞んだ赤い炎の奥に座るマナの声が、直接二人の頭の中にハッキリと聞こえる。そして霧に映りこんだ炎を見詰める二人の脳裏に、鮮やかで鮮明なビジョンがいくつか映し出された。その中の一つに蒸発した父親の姿がハッキリと見え、父親は霧の中で二人の前に立ち尽くしている。
「卍、巴……。いつかまた……、必ず……。ケムリの中の幻と、真実の先に……」
勢い良く真っ赤に空へと立ち昇っていた火柱がいっきに消されると、すぐに辺りは濃い霧に覆われた。地べたに座っていた爺さんや婆さんたちが次々と、霧の中へと消えてゆく。視界は限りなくゼロに近く、ただ滝の音だけが響く濃い霧の中の地べたに座ったまま、卍と巴は動けずにいた。
暫くして風が吹き始める。霧はゆっくりと押し流されるように姿を消して、徐々に視界が開けてきた。
空から一筋の眩しい光線が差し込む。二人の他にはもう誰も居なくなっている。
幻と現実の狭間に全ての真実が有るように、霧の裂け目に差し込んだ眩しい一筋の光の柱の中を、一人の男の影が歩いて来た。
「ご苦労ちゃん、兄弟たちよ……」
第9話 Sour Diesel
第9話 Sour Diesel
山の家へ戻り、二人はワッカに洗濯してもらった自分の服に着替えて、貰った木片はザックの中へしまった。ユタは約束どおり例の場所へ案内すると言う。その前に朝食を食って行けと平屋へ呼ばれた。
家の中ではきのう巴がカワイイと言っていた子が朝食を用意してくれている。巴は真っ先に挨拶をして朝食の礼を言うと、その子は「ユズです」と、自分の名を告げた。そして明日には山を降りてしまうから、今晩一緒に食事をしましょうと言ってきた。願ってもない誘いに巴は二つ返事で、「ОKです! 」と答え、卍は微妙な笑みを浮かべて上目遣いに頷いた。
朝食を済ませると、巴はユズとの食事の約束をしっかり再確認して、ユズに手を振りながらユタの軽トラの荷台へ飛び乗った。卍も後に続き、荷台で
山道を滑走して揺れる軽トラの荷台で、卍と巴は I`m Sexy をユタと一緒に連呼した。
遂にあの巨大な
「さっきの子、今夜あんたと寝る気ね、賭けてもいいわ! 」
唐突に卍は巴に言う。
「そう、何か良からぬ作為を感じるか? それとも単なる女の勘か? まぁ俺もそう思うけどね、ハハハッ。で、お前はどうする? 」
「私はマナに聞きたい事もあるし、ワッカと平屋で話でもしてるわ、勝手にして……」
「そう、じゃー俺はユズちゃんとしっぽりさせてもらうぜ! 言っとくが、変な邪魔すんなよ! 」
「うっさいわ! 邪魔なんかするか色キチガイ! 」
薄暗く細い山の林道へ軽トラが入って行くと、突然前方に人影が現れ、ユタが軽トラを止めた。
人影は車の方へ真っ直ぐに歩いて来る。
卍と巴は荷台で立ち上がり、何でこんな立入禁止区域の山中に人が一人で歩いているのかと思う。その人影は蓑笠《みのかさ》を被り、全身蓑で覆われた、マジで蓑虫のような男……。そして背中に背負った鈍く黒色に光るライフルが見える。
ユタは窓から顔を出して蓑笠の男と話をした。
「オゥ! シロ見付けたか? 」
「△~*+$$#&:+……! 」
「△△△~*#$……++;**%$! 」
「△&△::……**%###*;$! 」
「△%++~##$‘‘@@:*::***:&…… ?E ?E ?E !」
蓑笠の男とユタの会話は荷台にいる卍と巴にもハッキリと聞こえていたが、初めに声をかけたユタの言葉以外、何を言っているのか全く分らない。
男は一瞬蓑笠から大きな黒目を覗かせて卍と巴を見据えた。
大きく吸い込まれるような男の黒目は、一瞬で卍と巴に強い印象を与える。すると背丈を超えるヤブを軽く手で掻き分け、そのまま道など無い急な山の斜面を躊躇《ちゅうちょ》なく登って行く。全身蓑虫の迷彩効果であっという間に、一瞬にして山と同化し姿を消した。
ユタは何事もなかったように軽トラを発進させたが、卍と巴は蓑笠男のプレデターのような想定外の動きと迷彩効果にマジでブッ飛ばされていて、荷台から軽トラを運転するユタに巴が聞く。
「シロ見付けたかって、何のことですか? 」
「シロってーのは白いシカ、白鹿のことだよ! 」
巴は息を飲む、そして胸騒ぎを抑えてユタに言う。
「白いシカ、俺見ましたよ」
「いつ? どこで? 」
「3日前、山を下った川の林道で」
「そうか、やっぱりな、川の方に居たのか……」
「何なんすかあのシカ? マジでいるんすか? 顔が人間の女の顔にハッキリ見えたし、あれ以来幻覚みたく何度も現れるし、頭の中にチラ付いちゃってしょうがないんですけど……! 」
「あぁ、あれはそうゆうモノさ……!」
「そうゆうモノ……? 」
「そう、化物だよ! 」
ユタは高笑いをすると、軽トラは道なきヤブへ入って行く。背丈をゆうに越す草むらをなぎ倒して前進したが、もうこれ以上は限界という所で軽トラを止めた。
車から降りると二人を連れて、歩きでさらにヤブの先へと草を掻き分け進んで行く。すると急に視界が開け、なだらかな山間の斜面に突き当たる。
ユタは足を止めて山の斜面を指差した。
二人は見るまでもなくとうに気付いている。それは軽トラの荷台から降りた時点から、鼻を突く 踊るシヴァ神 な香りに包まれていたから。
ユタが指差すなだらかな山の斜面には、見渡す限り隙間なく、途方も無い数の巨大な
山間を吹き抜ける澄んで乾いた風に波のように
この世のものとは思えない、想像を遥かに超えた光景に、卍と巴は眼を見張り、圧倒されて息を飲む。
「人生でこれほど衝撃的なインパクトのある光景を、これから先目の当たりする事などあるだろうか? まさかリンボではあるまいなー、ヘェッヘッヘッヘッ、ホッホッホッホッ、ハァッハァハァハァッー……」
山間を埋め尽くす
「痛い? 」
抓られた顔を引き
「ちゃんと、いらいな……、いらい! 」
笑いながら小突き合って二人は奇声を上げる。ユタは
草むらの中を戻って行くユタの後ろ姿に二人は礼を言うと、山間の斜面に生い茂る噎せ返らんばかりの
丸々と太った
この巨大な
何よりも感心されたのが、♂株が全て根元から切られていて、ちゃんと手入れがされている事だった。
それでもトウモロコシのように巨大で成熟した
これが原種の
だがそれも数える程しかなく、これだけ途方も無い量が全て♀なだけでも神の成せる技。アウトドアにおいて十分過ぎるほどに
世界各地で入手したオリジナルで選りすぐりの種を、ユタはネフィリムの親たちから譲り受けていて、それもここに生えていると言っていた。
それは当然ここに生えている
もここへ来てからの体調の変化には二人気付いていた。特に巴は△印のカプセルに頼らなくても、アレルギー反応が抑えられている。卍がガイガーカウンターで汚染を調べても、放射性物質は全く検知されない。
あとは宇宙の曼荼羅から降り注がれる真理と、過去に何度か降り注いだであろう放射能の雨が、どうこの
それはいずれ解るとして、この途方も無い量の
だが二人はバイクで来ている限り持って帰れる量は限られていて、どう頑張ってもこの巨大な
深い緑に光り輝く黄金の山に生える
太陽が頭上へ登り、卍と巴の額からは大粒の汗が滴り落ちる。持って帰れる分の
荷台で昼寝をしていたユタが、
「そんなもんでいいのか……? 」
そんなもんでと言われても、2メートルを超える
ユタは頷き、「分かった、コンテナへ行こう」と言って運転席へ乗り込む。
国道へ出ると、ダッシュボードに(パトロール)と書かれたプレートを置くミニバンとすれ違い、卍と巴は凍り付くが、それもユタの知り合いなのか? はみ出す程の
「コレ全部干し終えるのにどれぐらい時間かかる? 」
「早ければ2・3時間ぐらいですね」
「ОK! じゃー俺はちょっとヤボ用が有るから行くけど、日暮れ前には迎えに来るから。あとコレおやつ……」
荷台から
静寂の森の中で巴がナイフを使って
工具やら何やらが散乱した薄暗いコンテナの奥に、何か隠されるように置かれたボストンバッグが有り、卍は好奇心からボストンバッグのファスナーを開けた。
中を覗くと沢山のビデオテープと雑誌が入っていたので、卍はすぐに、「何だ、Hビデオか」と、小声で言ってファスナーを閉めようとした。しかし妙な違和感を感じて、バッグの中の雑誌を一冊手に取って見ると、口に銜えていたバナナを卍はコンテナの床に落とす。
僅かに差し込む陽の光が、雑誌の表紙を飾るショッキングピンクのTバックを履いた色黒マッチョの角刈り男を、鮮やかに浮かび上がらせた。
「マジか……」と、卍は声を漏らし。雑誌のページを捲っていくと、「マジだ……」と、声を上げた。
見るとバッグの中の雑誌は全てゲイ雑誌で、ビデオテープに書かれたタイトルもそのスジの代物だ。
「えぇーーーっ……! 」
卍は声を漏らすと、怖いもの見たさからバッグの奥を探って見る。するとバッグの底に何やらゴロっとした硬くて重い卵型の塊が幾つか有る。卍は眉を
自分の眼を疑うように、卍は何度か瞬きをする。
手に握っていた卵型の塊は、 R G D - 5 紛れも無いロシア製の手榴弾で、卍はコレのコピーを前にアジアのゲリラ戦で使った事がある。
手に握られた R G D - 5 にはちゃんとロシア語が刻印されているので、どうやらコレはオリジナルらしい。
しばらくその場で困惑したが、卍は手榴弾とゲイ雑誌を両手に持ってコンテナを出る。
外で大きな巨木の切り株に座って、巨大な
「なに中でさっきっからえーだあーだって! 独り言いってんだお前? 」
無言で手に持つ手榴弾を、卍は巴に見せた。
「なにコレ? 何? アブねーなオイ! 中にあったのか? 」
いつになく神妙に卍が頷く。巴は
「ヤベーなコレ、ロスケのオリジナルじゃん! オリジナルって、始めて見た……」
手榴弾に見入る巴に、卍はもう一方の手に持つゲイ雑誌を、巴の顔に超ギリギリに近づけて差し出した。
「何! なんだよコレ! えぇぇーー、どうゆうセットなんだよコレ……? 」
手榴弾とゲイ雑誌を交互に、巴は何度も見返した。
ユタに悪いと思ったが、卍と巴はコンテナの中に有るバッグの中身を確認した。するとゲイ雑誌やビデオが詰まったバッグの底に、手榴弾が全部で6発入っている。
卍と巴は真顔で顔を見合わせ、「この事は忘れよう、バックの中身は見なかったことにしよう」と、決めた。
二人はコンテナの外に出て
静寂に包まれた山中での作業にひたすら無言で集中する二人は、驚異的な速さで
巨木の切り株に腰を下ろし、青く透き通った透明な空へ、卍と巴の鼻と口から白い大量のケムリが舞い上がって行く。
「そういえばさー、きのうの宴会の時! うちら先生と新宿の話散々してたじゃない。そん時ユタさんが新宿の二色ソバよく食ったって言ってきて、そん時はそーなんですかってスルーしちゃったんだけど。それって多分2丁目のソバ屋のことよね、二色ソバって、2丁目の仲通りの入口にある」
「そーだ、二色ソバって言ってた! どん底やストーンズにも新宿の友達とよく行くって! それって彼氏か? 」
「まぁ~、 I`m Sexy だし!」
「 Bad Boys だし……」
「でも2丁目は彼氏たちの出会いの場であるわけだから……」
「ハッテン場かよ、ガチでゲイだな! Marvin Gaye だ! なんちって……」
「分からないわよ、バイかもしんないし。でも初めから女に興味が無いのは解ってたけど」
「そんな事よりあの
「分からない、マナが二十の時役所を爆破したって言ってたけど……? 」
「それって何年も前の話しだろ、どう見たってあのパイナップルは新しいぜ! 」
「分からないわ、私たちにはまだ……」
そう言って卍はケムリを吐き出すと、
「鳥……? 」
巴が振り返ると、確かに卍が差した森の巨木の暗影に、紅い2つの目が二人を伺うように光って見える。巴はその大きさと巨木に同化したフォルムに一瞬たじろぐも、真紅に染まった眼を見開く。
「
「
巨木の暗影に鮮やかに紅く光る目を、卍も紅く染まった眼で見詰める。
「だけどもう夕方じゃん、それにどう見たってあれは
「けどね、ミネルバの
「だからほら、まだ飛び立つ前の……」
山の頂きから澄んで乾いた風が吹き抜ける。草葉に隠れていた虫たちが一斉に泣き始めた。空もいっきに夕日で紅く染まり、闇が迫り始めた森のしじまに紅く輝く目を見詰めていた二人の脳裏に、まるで紅い目を光らせた
巨木の暗影に紅く輝く目に引き込まれると、確かに父親の声と、幾つかの鮮明なビジョンがハッキリと見える。そして
「父さんの声、聞こえなかった? 」
「聞こえた。朝も聞こえたぜ、姿も見えたし、また会えるって父さんがハッキリ言ってた。マナの声もテレパシーみたく聞こえたけどな」
「そう、私も同じ。ケムリの中の幻と、真実の先に……って」
「ケムリと真実の先って、こりゃー
山を登ってくる軽トラのエンジン音が聞こえると、二人は目配せをして立ち上がり。コンテナに入って吸える程度に乾いた小振りの
山の家に着く頃には、辺りはすっかり闇に包まれていた。
平屋へ二人が入ると、今朝食事の約束をしたユズが髪を束ねた浴衣姿で、「お帰りなさい、お風呂が沸いてるわ」と、まるで新妻のように巴に言う。「ユズも一緒にどうですか? 」と、巴が気取って尋ねると、「もう先に済ませました」と、照れ笑いを浮かべる。
艶っぽいユズの浴衣姿に色香を感じて完全にのぼせ上がった巴に、「見てらんないわ」と、卍は小声で呟く。上目使いに極太の
風呂を出た巴がユズの居る古民家へ入ると、甲斐甲斐しくユズが晩酌の用意をして待っていた。巴は居間にすでに布団が引いてある事に驚いて、更にのぼせ上がる。
「ここは極東アジアの桃源郷か、シャンバラか……? 」
巴は呟きながら美味しそうな料理が並び、炭火が赤く揺らぐ囲炉裏の前に笑みをもらして座った。
ユズは顔を赤らめ、巴に持たせた湯呑に一升瓶から酒を注ぐ。巴は酒を一気に
ユズも酒に口をつけ、鮮やかに赤く染まった巴の眼をのぞき込み、「何が悲しいの? 紅い眼をして、白ウサギじゃないんだから……」と、クスクス笑う。
ユズが作った料理はどれも絶品で、特に炭火で炊かれたシンプルなキノコ汁の魔性の味覚には、すっかり
「私、飲み始めると止まらないから……」
湯呑で酒を呷るユズを横目に、巴は卍姉さんに貰った極太
ドライアイスでも食っちまったかのように鼻から大量のケムリを吹き出すと、ケムリの糸を引く極太
ユズは普通に
Dab Mix のカセットを巴がラジカセに入れて音を流し、ユズはケムリに噎せて咳き込む喉を湯呑の酒で潤した。
真紅に染まり始めた瞳でケムリを吹き出し酒を呷るユズから、巴は
エフェクトとディレイの効いたドライなカッティングと、背後から波のように包み込む重低音に、火の灯ったロウソクみたく体が溶けていくように、粘り気のある液体と化して究極的に二人の隙間が埋められていく。
敏感に冴え渡る意識の中で、互いに真紅に染まった眼を見詰め合う。ユズと巴は音に浮かんで波動が共鳴し合い、白いケムリに包まれて引き寄せられる。
卍は平屋のマナの部屋に居た。薄明るいランプに照らされて、ワッカを従えたマナに紅く眼を染めた卍が言う。
「あの時、蒸発した父親の姿がハッキリと見えました。父は私と巴の名を呼び、いつかまた、必ず会える。ケムリの中の幻と、真実の先にと、言っていました」
「お前が見たものは光りじゃ。それはお前に洞察力を与える眼のこと。その眼が開いていれば光が見えるが、その眼が濁って閉じていれば、お前の身体は全身暗い。己の中の眼を開くのじゃ、父親はその時お前たちの前に現れるだろう。今はまだこの世にあって、この世におらん」
「それって、父は何処にいるんでしょうか……? 」
「それはワシには分からん、だが死んではおらん。声も聞こえ姿がハッキリと見えたのだから生きている事は確かだ。成すべき事を成し時が来れば、必ず会える。それにおぬしら姉弟はその名が現す通り、この世の全てに
「闇黒……。そうですね、気お付けます……。それと、今巴があっちの家でしてる事も成すべき事ならば、私も自分の成すべき事をさせていただきます」
部屋の灯りを巴が消すと、鮮やかな幻影のように赤く揺らめきながら広がる炭の火がおぼろに浮き上がり、
暖かく打ち寄せる紅く細かい泡の波に引き込まれるように、ユズは巴に身を委ねた。巴はユズに口移しでケムリを吸わせ、はだけた浴衣から波打つ白い肌が炭火に赤く浮かび上がり、巴はユズの浴衣を脱がせて自分の服を脱ぎ捨てる。
「なぜ俺と寝る気になった」と、耳元で巴が小声で聞く。ユズは、「運命よ……」と、小さく言って畳の上に仰向けになる。敏感に反り返る体を巴は優しく抱き寄せ愛撫する。ユズは声を漏らすと、
恍惚に溶け合うように溢れ出す互の汗と粘液が絡み合うと、ユズは馬乗りになり自分の中に巴を招き入れる。そしてゆっくりと腰を動かし声を震わせる。
海の上に浮かんだまま打ち寄せてゆく波のように、止めど無く続く快感と絶頂。そして脱力とけいれんを繰り返し、ユズは大きく声を漏らしては体位を変えて狂ったように激しく腰を振った。
巴は耐え切れず絶頂を迎えそうになると。炭火に赤く浮かび上がるユズは、巴に渾身の力を込めて強くしがみつき、震える声を搾り出して巴の耳元で言う。
「いいの……。このまま、このままで……」
第10話 Girl Scout Cookies ( G S C )
第10話 Girl Scout Cookies( G S C )
ドアが開くと、大量の白いケムリがモクモクと空へ舞い上がり、ケムリの中から卍と巴が極太
荷台の幌を巴が巻き上げると、中には2日がかりで収穫した
2tトラックの荷台いっぱいに
トラックの荷台に詰め込んだ黒いゴミ袋は、口をキツく結んでから更に結び目にガムテープを巻き付けて補強し、臭いが外へ漏れないように厳重に縛り上げる。
幌付き2tトラックの荷台に、もうこれ以上は入らない程
検問を上手くすり抜けて港に停泊する貨物客船の中へトラックを積み込み、船の甲板へ上がり船尾のベンチに二人は腰掛けた。そして前回の二の舞を踏まないように、卍と巴は
10日前、山から東京へ戻るさい、二人は色々と世話になった礼に、立入禁止区域の外の街のスーパーで米を10キロ買って、去り際にマナに渡した。マナは米の礼に畑に生えてるトウモロコシを持っていけと、ワッカに10本ほど取りに行かせる。
二人とも
呆然と諦めた二人は捨てる事もできず、滑稽《こっけい》にもトウモロコシを何本も括り付けたバイクのまま船に乗る。そして満帆に
陸に上がる前に甲板でケムリをしこたま吸いまくっていた巴は、真っ紅に染まった眼をして卍の先を走る。しかしなんだかルートが滅茶苦茶で、フラフラと銀座を抜けると渋滞にはまる。
たまりかねた卍は、渋滞で動けなくなった巴のバイクに横付けした。
「何でよりによってここを通るのよ! 」
「だってこの道が一番近いから! 」
「近いからって何でわざわざ
言い争いながら二人はトウモロコシ付きバイクをノロノロと走らせていると、案の定渋滞に巻き込まれ、ドンピシャで警視庁の前の交差点でバイクが止まる。
目の前ではトウモロコシを何本も括りつけた2台の不審なバイクを、白バイに跨るゾンビがジッと見据えていた。
すぐに発進したい気持ちが先走り、巴はギアをローに入れたままクラッチを切って信号が青に変わるのを待っていた。だが、極度の緊張から心拍数が上がり、クラッチを切っていた指が滑ってしまい、バイクは不自然にガクンと上下に激しく揺れてエンストする。
その衝撃で、バイクに括り付けられていたトウモロコシが全て交差点に吹っ飛んだ。
突然目の前で起きた衝撃映像に卍は凍り付き、巴はテンパってバイクのスタンドを立て、桜田門の交差点に四方八方飛び散ったトウモロコシを、車通りを避けて拾い集める。
白バイに跨るゾンビが巴の不審な動きに反応してホイッスルを吹くと、巴は頭を下げて拾ったトウモロコシを服のポケットにねじ込む。ポケットに入りきらないトウモロコシは襟元とザックの隙間にねじ込んだ。そして信号が変わると何事もなかったようにバイクに跨りエンジンを掛けて走り去った。
卍が後に付いていくと、巴は後ろを何度も振り返り、白バイが追いかけて来ない事を確認して、内堀通りを新宿通りへ左折した。そして信号で止まると、すぐに卍がバイクを横付けする。
「何やってんのアンタ! 正気? 」
ケラケラと笑いながら、巴は襟元に突っ込んだトウモロコシを卍のポケットへねじ込んで言う。
「三千世界のカラスを殺し、主と朝寝がしてみたい……てね。桜田門にモロコシが舞って、ミカドの昼寝を邪魔したか……? 」
中野坂上の六畳二間のアパートへ着くと、部屋一面に新聞紙を引き詰めて、その上に持って来た生乾きの
部屋に充満する猛烈な
「トラック借りれるとこ探してくる。
「明日綺麗に干し直せばいいや、だけどどうやって寝りゃいんだ俺……? 」
部屋の有様に頭を抱えて巴はぼやいたが、
足の踏み場もない部屋の冷蔵庫から缶ビールを取り出すと、甘い香りを漂わせて蒸しあがったトウモロコシに塩をふり、皿に乗せてビール片手にベランダへ出る。
外にあるイスに腰掛けると、夕闇に黒い影が幾つも天空へと
「バビロン、お前は崩れ去るのだ……! 」
冷えたビールで乾いた喉を潤し旅の疲れを癒した。ふと見ると、隣の6号室のドレッドヘヤーの男がベランダ越しにコッチを覗いていたので、巴は軽く会釈する。
ドレッドヘヤーの男は巴と目が合うと、気不味そうに自分の部屋の中へ入って行った。巴は臭うのかなと思ってベランダの窓を閉めて、良い香りが
すると今まで食べた事ない超濃厚なトウモロコシの旨みに感動し、噛み締めるたびに思わず大きく唸り声を上げた。
2
「なっ、だから拾って来て良かったって心底思ったね。お前はブチ切れて結局食わなかったからな、あのモロコシの旨さが分からねーだろーけど。可哀想に……。今回貰えなかったのが残念だ! 」
「あんたさー、本当に緊張感に欠けてるっていうか、少しは場所をわきまえなさいよね! どうゆう神経してたらあの場所であんな事ができるのよ? バカなの……? 」
船の船尾にあるベンチに座って舌打ちをすると、卍は呆れ顔で 巴から受け取った
「だから、いい? 今回はちゃんと晴海からすぐの所に倉庫借りて有るから、ちゃんと輸送ルートも決めてるからそのとおりやって。この前の二の舞はゴメンだからね! このとんでもない量の
青く透き通った大海の空に浮かぶ雲を、夕陽がショッキングピンクに染めている。青から紫、そしてピンクからオレンジへ、アシッドにグラデーション掛かって大海を染める夕映えの空へ、海風に舞う
「だけどこんだけの量、どう捌ききるかが問題だな……」
巴の言葉に、卍はケムリを吐き出して真紅に染まった眼を細めると、笑みを浮かべて肩から下げたショルダーバッグにそっと手を忍ばせる。
「だから、コレが有るじゃない……」
ショルダーバッグに忍ばせた卍の手には、確りと冷たい R G D - 5 が握られていた。
「神の企てか宇宙の意志か……? なんにせよ、これから悪魔と大きな賭けをするわ! ケモノが支配するバビロンに囚われた魂を、開放するのよ」
「
二人は一度背負えるだけの
許しを得るためにユタに接触するも、また好きなだけ取れと言ってくれたユタに、卍は R G D - 5 を1パツ5万で譲って貰う。
「だけどお前も神経が図太いというか、図々しいというか、よくユタさんにパイナップルの話しができたなー! パイナップルが有る事を俺たちが知ってるって事はだよ、あのコンテナに有ったバッグの中身を俺たちが勝手に黙って見たって事じゃんかよ。ガチのゲイ雑誌やビデオが大量に有る事を俺たちが知ってるって事がバレバレな訳だからな。マジで生きた心地がしねかったぜ! 」
「ゲイ雑誌やビデオの事は一切触れずにスルーしたわ、ユタさんも触れてこなかったし、パイナップルの話のみ! 」
だから大丈夫みたいな言い方をして卍はケムリを吹かしたが、巴は余計に怖いわと眉を顰める。
船はアシッドな夕映えの空の下
次の日、船が晴海埠頭へ接岸すると、卍と巴は船底に止めてあるトラックに乗り込むため、ドライバー達が下りて行く階段へ向かう。するとすぐに二人は異臭に気付き、紅い眼をした互の顔を見合わせた。
臭うのである、猛烈に……。
これは不味いと二人は慌てて階段を下りて行く。ドライバー達は口々に、「何かくせーな! 何だこの臭い! 」と、異臭にざわつき、臭いの元を特定しようとしていた。二人は急いでドライバー達を掻き分け薄暗い船底へ辿り着くと、臭はいよいよヤバくなっていた。
トラックが何十台も止められた広い船底に自分たちのトラックを探すと、噎せ返るほどに強烈な
「ヤバイ! 」と、卍はトラックへ駆け寄り、積み荷を覗く係員達に声をかける。
「ゴメンなさ~い、凄く臭っちゃてますね……」
船の係員達に申し訳なさそうに卍は頭を下げ、世間知らずのバカ女を演出するように上目つかいで言った。
「これお客さんのトラック? 困りますよ、こんな凄い臭のする積み荷を持ち込まれては、何なんですか積み荷の中身は? 」
「これは……、大学の研究で実験に使う高山植物が積まれています。私もこれほど強い臭いがするとは思いませんでした。ただ、ご心配には及びません。人体には全く有害ではありませんから、むしろ、良いぐらいで……」
巴はしれっとトラックの運転席へ上がり込み、卍は係員にデタラメに書いて出した書類の不備をダラダラと指摘されていた。船底の正面の鉄の扉がゆっくりと開き始めると、幾筋もの鮮やかな光線が薄暗い船底に差し込見始める。
サンバイザーに挟んだ神の宿る木片に、巴は紅く染まった眼をやる。闇黒から光へ導くと聞いたマナのテレパシーが、一瞬脳裏を霞めた。
「あーうるさいうっさい! 体に良いって言ってるでしょ! ありがたく思いなさいよ! 」
しつこい係員を卍はあしらい、トラックのドアを開けて助手席に上がって来た。船首の鉄の扉が完全に開かれると、東京湾のよどんだ空気が入り込んで、
エンジンを掛けると、トラックの車内に Electric Dub が大音量で流れ出す。
「
闇に差し込む光を浴びて卍と巴が同時に言うと、
第11話 Pineapple Chunk
第11話 Pineapple Chunk
「いつも済まない。これ、少ないけど受け取ってくれ……」
男は金の入った封筒を卍に渡そうとした。
「いいわよ……、いらない。また必要になったら言って。それじゃ……」
人気のない路地でバイクに跨る卍は、エンジンを吹かすと暗闇の中へと走り去った。
東京タワーを一望する高台に立つマンションの玄関を入ると、廊下の両側にある部屋にうず高く積まれたダンボールの中には、1kgずつ真空パックされた
廊下を抜けて広いリビングに出ると、東京タワーが間近に迫る大きな窓辺のソファーに座った卍が、フラスコ型の大きな
手土産のいなり寿司をソファーのテーブルに巴は置き、「マジで疲れた……」と言って、革張りの椅子に体を沈める。
紅く眼を染めた卍は、ビンタンをグラスに注いで巴に渡すと、いなり寿司の包を開けた。
「六本木どこ泊まったの? 」
「 I B I S 」
「あのレズ女たちと I B I S に泊まったの? マジでウケるんですけど……」
「レズってお前もレズだろが! どこもホテルはいっぱいだったし、フールズ行ってピジョン行ってクレオ行ってたらもう時間ないしさ、 I B I S しか空いてなかったの……」
「だから
卍は割り箸を割ってのり巻をつまんだ。
「あれ瀬里奈の子でしょ、一緒に泊まったの? 」
「そうだよ」
グラスに注がれたビンタンを飲んで、巴は面倒臭そうに答える。
「どうやって帰ったの? 」
「何が? 」
「女の子はどうやって帰ったの? 」
「タクシーで帰ったよ」
「どこ住んでんの? 」
「何で? 」
「私こないだ三宿であの子たちを見たわ」
「あー、確か三宿に住んでんよ」
「野球選手が運転する派手なイタ車から降りて来たわよ」
「あいつだろ、知ってるよ。奴らにも売ってんだろ、あの女たち。ケミも売ってるみたいだけどな、当然体も! どうせ売れないモデルのビッチのバイだよ。俺はお前みたくデカく稼げる先がねーんだからさ、だからってゲリラやギャングじゃあるまいし、ふところにパイナップル抱えて893モンや半グレ達と商売なんざゴメンだしな。クラブの女や売れないモデルの卵のモデルでも何でも使って、金持ちの変態ジジイやイカレ芸能人や頭空っぽのスポーツ選手にでも売ってくしかねーんだよ。実際ボランティアばかりじゃ食ってけねーし、ガキじゃ金んなんねーし。だからこうやって定期的なメンテナンスが必要なんじゃねーのか……? 」
巴は椅子から起き上がると、いなり寿司を頬張ってビンタンで流し込む。
「いなり寿司にビンタンは合わねーな! 」
「いいの、これは故郷の味だから。で、3P遣ったの? 」
「3P遣ったのって、お前が来ないから俺がするはめになったんだろーが! 」
「だってバイでしょあの子たち、しかも I B I S って」
「バイだろうがレズだろうがおめーはいつまで経っても来やしねーし。あいつら相手にテキーラ飲んでケムリ吸ってブリちゃったんだから、両方入れたよ。 I B I S でね! 超壁薄くて声まる聞こえで最悪だった。だから超疲れてんの。体も痛てーし。分かるだろ、チンコが疲れてんだよ! 」
「あいにくチンコは付いてないから分からないけどね。まぁ、ご苦労様でした……」
卍は巴のグラスにビンタンを注いだ。
「で、お前の方はどうだったんだよ? 」
テーブルに置かれた、△のロゴが光る金の万年筆を卍は取り上げると、円を描くように指に挟んで回した。
「私のほうも似たようなものよ……」
2
夜明け前、青山の S A R A で、大きなサングラスを掛けたショートカットで綺麗な顔立ちのシオンと名乗る、同じ歳ぐらいの女から、卍は破格の注文を受ける。
しかしちょっと面倒臭い事を言われた。それはサンプルを指定した銘柄のタバコに詰めて、夜の◎時までにマンションのペントハウスに置いといて欲しいというものだった。
ペントハウスへは、フロントで名を告げれば専用エレベーターで入る事が出来ると言う。ホテルと同じで食事や飲み物も最高の物がルームサービスできるから、好きな物を何でも頼み、部屋も好きに使ってゆっくりサンプルをタバコに詰めておいてくれればいいと、大きなサングラスを掛けたシオンは言った。
卍は小間使を言い付けられたようでいい気分はしなかった。いつもなら絶対に受けない面倒臭い内容だったが、バビロンに巣着くセレブぶった
その日の夜、 Wave の袋に
交差点を溜池方面へ下って行くと、目指していたマンションを見付ける。入口に小さく(桃源郷 B L D )と書かれたマンションの中へ入ると、入口はわりと平凡だったが、一歩中へ入るとすぐに、床のカーペットの踏み心地の良さを足元に感じる。
フロントで名を告げると、ベルマンに鍵とサンプルを詰め込む為の洋モクを渡され、ペントハウスへ上がる専用エレベーターへ案内された。鍵を差し込むとエレベーターが動き出し、卍は最上階にある部屋へ入って行った。
そこはまるで悪夢に出てくるような、悪趣味な高級クラブの V I P ルームのような部屋で、四方がガラス張りで夜景は綺麗に見えるものの、窓辺に泡立つジャグジーはバビロン風没落の浴場にしか見えず。さっき下界で振る舞われたシャンパンの泡の幻影が、バビロンの悪夢と泡立つジャグジーの中に浸っているようだった。
「これじゃーまるでスカーフェイスね、The World is yours じゃないんだから……」
受け取った洋モクと Wave の袋を卍は長椅子に放ると、ハーフコートを脱いでテーブルに有るメニューを手にした。
ワインにシャンパン、キャビアにチーズに etc ……。値段は載ってないもののどれも高そうな銘柄が連なっている。
◎時まではまだ時間がたっぷりあったので、卍はこれもギャラのうちとメニューに有る、シャトー・ラフィット・ロスチャイルド・ボーイヤックの赤1963と、チーズにドライフルーツ。あとマンチ用にクラブサンドもフロントに頼んだ。
T V をつけると、ケーブルTVなのか? 見たこともない△マークがフラッシュする金融情報が流れ出す。
全面ガラス張りに鏡張りで、地方のラブホのようなジャグジーに部屋の奥にはキングサイズのベッドが見えるこの悪魔的なセンスは何処からくるものかと、卍は部屋の中を探索した。
△マークが渦を巻くTVからは、株価が過去最高を更新したとかなんとか、公な金融誘導操作が止めど無く流されている。
壁の足元に埋め込まれた空調の隙間に、金色の万年筆が挟まっているのを見付けて卍は引っ張り出す。
見るとその万年筆には△のロゴが付いていて、卍は万年筆を指に挟んで回すと、「あぁ~、こっちの人たちなのね……」と、呟く。
部屋のチャイムが鳴ったので卍がドアの覗き穴を見ると、ワインを乗せたカートの横に給仕の男が立っていた。内鍵を外してドアを開けると、給仕はカートを引いて部屋の中へ入って来る。テーブルに頼んだ品を置くと、頼んでもいないフルーツの盛り合わせも置かれた。そしてワインの栓を抜くとグラスに注ぎ、コルクとボトルをテーブルに置いて立ち去った。
「ありがとう」と、卍は礼を言ってドアを閉め、内鍵を掛ける。
グラスに注がれた、ハイブリッド血族支配層ロスチャイルド家のワインの香を嗅いで、テーブルに置かれた1963年のボトルを手に持ち、ロスチャイルド家の紋章を見る。
赤い盾の中には5本の矢を持つ手があり、その下には、 Concordia Integritas Industria つまり、
グラスの赤ワインに卍は口をつけた。
「通貨発行の権利、金融操作に王家が欲する
思わずボヤき、皿をテーブルに置いてゴミ箱を足で足元へ引き寄せると、卍は椅子に座って洋モクの中身を全部ゴミ箱へ捨てた。
そして予め事前にクラッシャーで粉砕しておいた
チーズとドライフルーツをつまんでワインを飲みながら、のんびりと幻覚なみに笑える、バビロニア金融奴隷システムのプロパガンダ△TVを尻目に、作業を続けて1時間ほど経つと、指示どうり洋モクに全て
ケムリを吐き出して両腕を上げ大きく背伸びをすると、卍は鼻歌混じりに立ち上がり、髪を束ねて服を脱ぎ捨て裸になる。
偏向報道を垂れ流す実体のない財テクTVを消すと、
四方に輝くバビロンの夜景を見詰めながら、泡に包まれてケムリを立ち昇らせる卍を。部屋のすみに有るベッドの鏡張りの壁の奥から、マジックミラー越しに見据える男がいた。
足を組んで椅子に座り、ダークスーツに身を包んだ男は、卍を見据えたまま隣に立つ秘書の女に聞く。
「今日は爆弾持ってないみたいだね……」
「はい」
隣に立つ秘書は、手に持った資料を読み始めた。
「× × × × 年、オランダ系インドネシア国籍の母親と、日本人の父親との間にインドネシアのジャカルタで生まれる。父親は日本へ戻り母親と二人で暮らしていたが、6歳の時に母親が亡くなり、東京都中野区に住む父方の祖母に預けられ日本で暮らすようになる。その祖母も高齢のためホームへ入居。今度は腹違いで同じ歳の弟の居る家へと預けられたが、父親が蒸発。弟と一緒に都内の私立校を大麻で捕まり2年で退学、練馬少年鑑別所に収監される。保護観察処分が解けると、弟とともに日本を出国しタイ経由でインドへ入る。その後、ネパール・ミャンマー・ラオス・カンボジア・タイ・ベトナム・マレーシア・インドネシア・フィリピン・などを経てアジアンマフィアの一員となり、各国で傭兵となり戦闘に参加し非合法活動に手を染める。アメリカやカナダ、メキシコやヨーロッパ各国にも入国し、約2ヶ月前に日本へ帰国。彼女は
「傭兵か、
「はい、ありません」
バビロン風没落のジャグジーの泡に浸かってケムリを吐き出す卍は、眼下に広がるバビロンの夜景を紅く染まった眼で見詰めていると、巴が父親の持っていた本の一節を、よく呪文のように唱えてた言葉がふと口をついてでた。
「それは、悪が義の前から退く時に起こるだろう。悪は永遠に終わるであろう。そして義が世界の基準として、太陽とともに現れ出るであろう。驚くべき奥義を止めておくすべての者は、もはや存在しない。この言葉は確実に実現し、この
マジックミラー越しに卍を見据える男には、小声で呟いた卍の声が確りとモニターされている。ダークスーツの男は笑みを浮かべると、隣に立つ秘書に言った。
「奥義の書、第1章6から8節とはな、面白い……。シオンを入れて果実を食わせろ」
3
チャイムが鳴って、卍はバスロープを羽織るとドアの覗き穴を見る。外にはショートカットの髪に大きなサングラスを掛けたシオンが立っていた。
卍がドアを開けると良い香りを漂わせるシオンが、「こんばんわ」と言って部屋の中へ入ってきた。
指示どうりサンプルを詰めてテーブルの上に置いた洋モクの箱を手に持つと、フタを開けて中の臭いを嗅く。
「ありがとう」
シオンは卍に礼を言うと、真っ赤でド派手なフェイクファーのコート脇に抱えたバッグから、札束の詰まった封筒を取り出してテーブルの上に置いた。
「半分だけど、先に渡しとくわ。その代わり明日の8時にここへ届けて」
ルームナンバーが書かれた新宿のホテルのカードを、札束の上に添える。
「モノも確かめないでお金も前払いなの……? 」
「お金は半金よ、モノは今確かめさせてもらうわ。コレちょうだい、同じでしょ」
卍が巻いたテーブルに転がる
「このお金を私が受け取って、明日あなたの前に現れなかったらどうするの? 」
濡れた胸元に泡の雫をつけた卍に、シオンはゆっくりとケムリを吹き出して
「良い
そう言ってサングラスを外したシオンの顔を始めて見た卍はすぐに気が付いた。TVのCMや街に溢れる広告で、無意識のうちに脳裏に刻み込まれている女神のように美しい女……。
シオンは着ていた服を脱ぎ捨てると、下着は着けていなかった。
白くしなやかに美しい裸体を露わにすると、卍の羽織ったバスロープをゆっくりと脱がしてジャグジーへと誘い、一緒に泡の中へと体を沈める。
シオンと唇を合わせた卍は、きっと何か食ってるわと勘ぐる。すると、シオンの顔から笑顔が消えた。
「イヤな事思い出しちゃった。1ヶ月も
バスタブの横に転がったブドウの房から、透き通るガラス細工のような細い指で葡萄を一粒つまみあげる。シオンは瞳孔が開き切った潤んだ瞳で、卍の口の中にゆっくりと葡萄を入れる。そしてそのまま卍の首筋に舌を這わせると、とても小さく耳元で言った。
「私は奴隷よ……、鎖に繋がれ自由は無いの……。あなたはケムリの中にいて、自由でいるのね……。私をケムリの中へ連れて行って、自由にして……。全然眠れなくておかしくなりそう……。だから、お願い、イカせて……」
白い肌に泡が滴る体で艶かしくシオンは立ち上がる。瞳孔の開き切った潤んだ瞳で卍を見下ろし、後ろを向いて泡の滴る細い片足をバスタブの縁に乗せると、細い指を自分の突き出したアナルへ滑りこませる。
その様子を、椅子に座ってマジックミラー越しに見詰めるダークスーツの男の足元には。さっき隣に立っていた秘書が股の間に顔をうずめて、唾液を床まで垂れながしていた。
第12話 Lemon Skunk x Super Silver Haze
第12話 Lemon Skunk x Super Silver Haze
6号室のドレッドの男は、巴の部屋から出てきた卍と階段の入口で顔を合わせると会釈した。卍はドレッドに爽やかに微笑むと、バイクに跨りヘルメットを被ってエンジンを吹かし、あっという間にビルの谷間へ走り去る。
エキゾチックな顔立ちと中性的な卍のスタイルに、ドレッドは走り去るバイクが見えなくなるまで
だが、何故こんな所に
まだ生乾きの
高層ビルに囲まれたアパートのベランダ越しに、隣の部屋から The Wailers の Rasutaman chant が聞こえてきて、ドレッドは思わず背伸びして柵越しに隣のベランダを覗く。イスに座ってビールを飲み、トウモロコシにかぶり付く巴と目が合い会釈した。
ドレッドは気不味そうに洗濯バサミを取り部屋へ入ると、天井のハリにヒモを通し洗濯バサミで
「素晴らしい……! この
1週間が経ち、ドレッドは毎日天井から吊るされる
そこに見えたものは、
「素晴らしい……」
新宿の紀伊国屋の地下で買ってきた、大型でガラス製のフラスコ型
グラインダーのフタを開けると、猛烈な
グラインダーの中でモグサのようにフワフワになった
片手で
ポコッ、ポコッ、ポコポコポコポコポコポコポコポコポコポコポコポコポコポッ!
ゆっくりと
いったん火を止める。まだケムリの入っていない肺の中の空気を全部外に吐き出すと、
肺に溜まったケムリは張り巡らされる毛細血管の中へと溶け込み、身体全身を巡ってチャクラにまで行き渡る。ドレッドは瞑想するように眼を閉じてしばらくケムリを肺に溜めると、ゆっくりと口と鼻から大量のケムリを吐き出した。
眼を瞑ったまま、波間に浮かんでいるような浮遊感に包まれ始めると、突然脳細胞がスパークした。
眼を見開くと、最近慢性化していた偏頭痛がピタリと止み、久しぶりに頭の中がスッキリして。このところ常に頭の中にチラ付いていた痛みを伴う、モヤモヤとして追い詰められたネガティブなイメージが吹き飛んでゆく。
点けっ放しのTVからは、ドレッドが慢性的な偏頭痛の症状を抑える為にいつも買っていた薬のCMが何度も流れている。
部屋のゴミ箱には△マークの増量パックの空き箱が幾つも捨ててあって、溢れた空き箱は床にまで転がっていた。
バビロンの美しき聖なる女神の化身は、街中に溢れる△のサブミニナルを摺り込むが如く。何度となくTVから同じ事を繰り返しループさせる。
手の平を合わせてから正面に一気に広げた△から覗く片目からは、誰も逃れる事はできず。バビロンを支配する女神は発光するTVの中から実体が現れたかのように、ドレッドの前に愛らしく佇む。
ケムリの立ち籠める部屋の床に転がる△マークの空き箱を拾い上げたドレッドは、真紅に染まった眼を見開いて呟く。
「解ったよ……」
△マークの空き箱をゴミ箱に放り投げ、眼の前に愛らしく佇む女に言った。
「薬をもったな……」
第13話 Nova O G
第13話 Nova O G
黒いジェラルミンケースを持ってホテルを出てきた卍を見付けると、巴は吹かしていた
「大丈夫だったか? 」
「ちょっと目眩がするけど、大丈夫よ」
「目眩? 大丈夫か……? 取り引きは? 」
「明日の夜」
「早くねーか! 」
「向こうの要望」
大勢の人が行き交う靖国通りを二人は話しながら歩いて行き、人混みに溢れる歌舞伎町の雑踏から、人気のない寂れた路地裏へと入って行く。
立チンボや
Fela Kuti のレコードが流れるカウンターの中で、丸いメガネを掛けた D G はタバコを吹かしてラジオライフを読んでいた。
カウンターには一人、見かけない小奇麗な女が漫画を片手に酒を飲んでいて。奥の小さな席にはいつも居る常連の中年男と淫売婦が、人目も憚《はばか》らずチチクリあっている。
卍は D G と目配せすると、カウンターの脇にある、天井部分に
巴はカウンターで漫画を読む女と一つ間を空けて座り、D G に
少し年下ぐらいか、化粧けが無いところがこの辺りには似つかわず、清楚な印象を受けた。スタイルも良く、目鼻立ちのとおった綺麗な子だなと巴は思う。すると女も巴をチラリと見る。D G が C C S をカウンターに置くと、巴は作り笑顔でグラスを持ち、「乾杯! 」と言って、漫画を読む女にグラスを傾けた。
女はチラッと巴を見てすぐに目を伏せる。面倒臭そうにグラスを持ち、まったく聞き取れないか細い声で何かを言った。
カウンターの中でラジオライフを読んでいた D G が一瞬視線を向ける。
作り笑顔で女に傾けたグラスをそのままゆっくり引き戻し、巴は作り笑顔を浮かべたまま C C S を口にする。
カゴメへ来る道行、卍と巴は猥雑なネオンがひしめきあう通りを歩きながら取引の話をする。今日は先に半金支払われた分のモノを卍がホテルの部屋へ届けた。
部屋の中には初めて見るダークスーツに身を包んだ爬虫類顔の男と、その秘書らしき紫のスーツ姿の女が居た。
シオンが男を会長だと言って卍に紹介すると、ダークスーツの男はモノが気に入ったから有るだけ買いたい、あとどれぐらい持っているのかと探りを入れて来たが。取り敢えず50kで話を纏める。
今日すでに20k持って来たから合わせて70k。いくら金払いが良くても量が多すぎる。しかもこの短期間に、アンダーグラウンドでもない奴らが。
有るだけ売っちまえと巴は言っていたが、他にも回してやりたい所も有る。
それにシオンが言った、「私は奴隷よ……、自由にして……」という言葉と、瞳孔が開き切ったシオンの目が、卍の頭から離れずにいた。
去り際に蛇のような目をしたダークスーツの男が言う。
「君の持っているものは特別なんだよ……」
その言葉の真意が、単にモノの品質が良いという事だけではないと、スーツ姿の男が卍を見詰める冷たい蛇のような目が物語っていた。
卍はあいにく買い手の購入の動機を
2階から降りてきた卍は、カウンターに座る巴の隣に腰を下ろす。D G にビンタンを頼むとカウンターに片肘を付き、手の平に頬を乗せて溜め息を付いた。
真顔で溜め息をつく卍の顔を、紅い眼を細めて覗き込んだ巴が、わざと大きな声で聞く。
「な~、女同士の Anal Fuck て、どうやんの? 」
卍はまた溜め息をついて巴に言った。
「 ファックてわけじゃないでしょ、むこうがアナルでイッタって話。お前せめて A F とかって言え。バカ、ボケ、カス……」
つい口が滑ってきのうシオンと寝たことを巴に話してしまった卍だったが、巴の大好きな△薬のCMに出てる子がシオンだとは、話がややこしくなるので言わずに黙っていた。
「
「あんたしたことないの? 下剤飲んで洗浄してんのよ」
「ふん! そーなんだ。で、彼女は A F でイッちゃたのかよ? 」
「そりゃーケモノの刻印を押されたようなビッチだもの、
悪どく眼を細めてニヤ付いて言う卍の顔を、巴は眉間にシワを寄せて見た。そして
「そりゃーやっぱしアレだな、奴らの薬だな! 」
「そうね……」
D G がカウンターにキンキンに冷えたビンタンを出す。巴は C C S のお代わりを頼み。臆面もなく涼しげに「そうね」などとクールに吐き捨てビンタンを口にする、隣の間の子のレズビアンの姉に正面を向いて指を差し、大きな声で言った。
「 Asshole ……! 」
するとなにやら背後に強い視線を感じて巴が振り返ると、カウンターで漫画を読んでいた女がこっちをガン見していた。
その熱のこもった熱い視線は巴を通り越して、一直線に卍へ注がれている。
巴は卍と女を交互に見ると、女が手元に開いた漫画の中身が眼に映り、巴は小さく絞り出すように声を漏らす。
「えェェェェェ……」
女が読んでいた漫画はエゲツないホモ漫画で、ナイスガイな抜き差しがこれでもかとグロく描かれていた。
巴が石のように固まるとカゴメのドアが開き、女が一人入って来た。ホモ漫画を持つ女に「遅れてゴメンネ皐月~」と、声を掛けると、コートを脱いで壁に掛け、ホモ漫画と巴の間に座る。
固まった体の眼だけを動かしてチラ見する巴に、女は軽く会釈をすると、D G にレッドアイを注文した。
巴がチラ見する女の体は、抜群なスタイルの良さを強調する黒のニットのワンピースで、超ウルトラビッチ級のエロさを
巴はカウンターに身を乗り出して D G に小声で聞く。
「隣の子たち、初めて見んだけど」
「最近よく来る。手前の子は裏の劇場に出てるストリッパーの子で、その隣はちょっと耳の不自由なアッチの子だよ」
「なるほど……、どうりで……て、ウソ! あの子アッチなの? 」
「そうだろ、気付かなかったのか? 」
「マジ見えねーわ……」
まったく気付いていなかった巴は、D G の言った気付かなかったのかと言う言葉が、
「すいません、二人はカップルじゃないって皐月が言うんだけど、本当ですか? 」
「はい、本当です! 」
巴は即答した。すると皐月が激しく手を動かし、ストリッパーは卍に聞こえるように、皐月が卍の事が超タイプだと訳す。
卍は皐月の思い詰めたような熱い視線に手に持ったビンタンが止まると、巴は椅子から立ち上がって皐月に言った。
「いや~、せっかくだからボクが席変わってあげるよ、ね! 君が卍の隣に座ればいい。大丈夫、彼女は A F のプロだから。て、聞こえないか……? 」
まんまと皐月を卍の隣へ追いやった巴は、したり顔でグラスを片手にストリッパーに名を訪ねる。眼を細めて巴に中指を突き立てた卍の薬指の内側に、皐月は確りと彫られた Like,a,lady のタトゥーを見逃さない。
ストリッパーはシーナと名乗り、源氏名だけどねと付け加える。じゃー皐月も源氏名かよと巴は思うが、そんなことは別にどうでもよかった。
血生臭さが漂ってきそうな鮮血をグラスで汲み上げたようなレッドアイがカウンターに出されると、4人は乾杯した。
皐月はホモ漫画をバッグに終うと、代わりにメモ用紙とペンを取り出して卍と巴の名をシーナに書かせる。そして巴の名前が女みたいだとシーナに言わせてほくそ笑み、(シーナの巨乳にバカな男がたかって来るからマジゲスイ! )と、紙に書いて巴に毒づき、卍の腕に凭れ掛かる。
シーナは作り笑顔が固まる巴に、「皐月は口を読むから気をつけて」と、耳元で言った。
カウンターに置かれた大量のレコードの中から Bob Marley の Survival のジャケットをシーナは取り出し、D G にかけてとジャケットからレコードを抜いて渡す。
カゴメに Bob Marley の歌声が響くと、シーナは Survival のジャケットを食い入るように見詰めて、「質問があるんだけど……」と、言った。
「バビロンシステムって何? 」
巴が言った。
「支配、教育、金融、戦争、弾圧、粛清、メディアコントロール、プロパガンダ……」
卍が言った。
「権力、搾取、社会、洗脳、宗教、歴史、企業、格差、ケミカル、右や左と、誘導操作……」
D G が言った。
「
「どれも願い下げだわ! だって」
3人の言葉をシーナがメモに書き、それを見た皐月の手話を訳して言う。皐月が鼻を鳴らすと、卍は皐月にゆっくりと話した。
「私たちは今バビロンのド真ん中に居るのよ、自覚は災いの元だけどね」
皐月は卍の腕を引き寄せ、訴えるように何かの絵と言葉をメモに書き、それを卍に渡すと何度も首を振る。
「もう一つ質問、
シーナの質問に、卍と巴は思わず顔を見合わせ沈黙すると、D G がカウンターに手を付いて言った。
「
(何かまるで悪くないみたい、じゃーなんで捕まるんですか? )
卍の腕に凭れ掛かる皐月が口を尖らせて、走り書きしたメモをカウンターの上に出すと、「だから捕まるのよ」と、卍に言われ。なぜか皐月は顔を赤らめ、それを誤魔化すように卍に甘えてみせる。
Survival のライナーノーツを読み終えてシーナは巴に聞いた。
「ねぇ、
「育てられるよ、簡単に、アレは雑草と同じだからね。インドアだろうがアウトドアだろうが、種を蒔いたら簡単に育つよ」
「私育ててみたい」
「じゃー、種もらえば」
「誰に? 」
「うん、そこの人から」
D G がカウンターの下で何かの入れ物を物色して立ち上がると、シーナの前に手の平を差し出しす。
D G の手の平には、艶があり丸々と太った若草色や茶色混じりに黒光りした麻の実が10粒ほど乗っていた。それを自分の手の平に乗せてもらったシーナは、指で麻の実を転がして食い入るように種を見詰める。
「沢山あるみたいだから、今から蒔きに行く? 」
シーナは顔を上げて巴に聞いた。
「どこへ……? 」
「その辺……」